山田準『洗心洞箚記』(本文)257 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その257

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

           こくう 一〇七 張子曰く、「虚空は即ち気なることを知れ  ば、則ち有無・隠顕・神化・性命一に通じて二無  し。聚散・出入・形不形を顧み、能く従つて来る              所を推本すれば、則ち易に深きものなり」と。又       ばうしや ほゞ  た曰く、「者は略虚空を体して性と為すことを  知るも、天道に本づいて用と為すことを知らず」               いんうんそくすゐ  と。謹んで按ずるに、太虚の息吹は気なり、  此の気は千変万化の根本となるなり。然らば太虚  を除けば則ち気なし、故に気を外にすれば則ち太  虚なきこと亦た知るべし。要するに虚と気とは不                      二のものなり。真に其の不二を知らば、則ち有も  後にあらず、無も先にあらず、隠も体にあらず、  顕も用にあらず、神も幽にあらず、化も跡にあら  ず、性も人にあらず、命も天にあらず、是れ乃ち                       ●  心解なり。然らば則ち聚散・出入・形不形は皆其           の事なり、又た爰んぞ疑はん。故に曰く、易に深            きものなりと。夫の二氏の如きは、却て斯の義を        ほゞ  知らず。故に略虚空を体して性と為すことを知る                 したが  と雖も、未だ嘗て仁義礼智の性に率うて以て行ふ  者あらざるなり。而て其の仁義礼智は他にあらず、  即ち春夏秋冬なり。春夏秋冬は即ち天道なり。鳴            呼、聖人の道は、体を明らかにし用に適すとは、  此を以てなり。   張子曰、「知虚空即気則有無隠顕、神化性命、   通一無二、顧聚散出入形不形、能推本所   従来、則深於易者也、」又曰、「者略知   体虚空性、不天道用、」謹   按、太虚之息吹者気也、此気為千変万化   之根木也、然除太虚則無気、故外気則無   太虚亦可知矣、要虚与気不二者也、真知其   不二、則有非後、無非先、隠非体、顕非   用、神非幽、化非跡、性非人、命非天是乃   心解矣、然別聚散出入形不形、皆其事也、又爰   疑、故曰、深於易者、如夫二氏、却不   斯義 故雖略知虚空性、未嘗有   率仁義礼智之性以行焉者也、而其仁義礼智、   非他、即春夏秋冬也、春夏秋冬、即天道也、   鳴呼、聖人之道、明体適用、以此也、









易。易理。

者。者。



息吹。易
に謂ふ、荘
子に謂ふ息吹、
後項に出づ。




有無も隠顕も
神幽も性命も皆
渾一不二といふ
なり。



心解。心悟的
解釈。

太虚の事なり。


二氏。老子と
仏教。








体は虚に当り、
用は気に当る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その256/その258

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