山田準『洗心洞箚記』(本文)258 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その258

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

               あうぜん       しようかう 一〇八 張子曰く、「気は太虚に然として、昇降           しそく         いんうん  飛揚し、未だ嘗て止息せず。易に謂はゆる、            いき      や ば  荘生の謂はゆる生物の息を以て野馬を相吹くもの  なり。此れ虚実動静の機、陰陽剛柔の始めにして、           せい  くだ         だく  浮んで上る者は陽の清、降つて下るものは陰の濁  なり。其の感遇聚散、風雨となり、霜雪となり、     りうけい       ゆうけつさうはくわいじん  万品の流形、山川の融結、糟粕燼も教にあらざ  るなきなり」と。謹んで按ずるに、此の章太虚二  気の変化を論じて、而て人に及ばざるなり。然れ  ども人此の理を体せば、則ち吾が方寸は便ち是れ    這の太虚にして、而て其虚実動静陰陽剛柔は、皆  亦た此れより活出す。其の天に在るの風雨は、吾          がうれいおんたく  れに在つては則ち号令恩沢なり。天に在るの霜雪                    けいりく  は、吾れに在つては則ち已むを得ざるの刑戮なり。                   きよくらい だいそく  糟粕燼も教にあらざるなきは、則ち曲礼・内則・  せうぎ  どうさ ゐ ぎ  少儀の動作威儀、一として仁ならざるなきなり。                   故に張子の礼を以て人に教ゆる、従つて来る所あ  り。仏老の空虚と異なる所、全く此に在るなり。   張子曰、「気然太虚、昇降飛揚、未嘗止   息、易所、荘生所謂生物以息相吹   野馬者也、此虚実動静之機、陰陽剛柔之始、   浮而上者陽之清、降而下者、陰之濁、其感遇聚   散、為風雨、為霜雪、万品之流形、山川之   融結、糟粕燼、無教也、」謹按、此章論   太虚二気之変化而不人也、然人体此理、   則吾方寸便是這太虚、而其虚実動静陰陽剛柔皆   亦自此活出焉、其在天之風雨、在吾則号令   恩沢也、在天之霜雪、在吾則不已之刑戮   也、糟粕燼無教、則曲礼内則少儀之動作   威儀、無一不仁、故張子以礼教人、有   従来矣、与仏老空虚異、全在此也、

然。盛ん。

。凝集の
意、易の繋辞下
伝に「天地、
万物化醇」とあ
り。
野馬は水辺の
蒸気「かげろふ」
なり、荘子に野
馬とか塵埃とか
は、生物が息
(いき)を以て
相吹いたもの、
と言へり。

万品云々。万
物が形を流(布)
きてそれ/\物
とあらはれ、山
川が山と結び川
と融ける。
糟粕燼。物
のかす(滓)や、
燃え残りのやう
な、つまらない
もの。




曲礼も内則も
少儀も礼記の篇
名なり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その257/その259

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