山田準『洗心洞箚記』(本文)260 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.12

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『洗心洞箚記』 (本文)

その260

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一一〇 張子曰く、「太虚は自然の道、之を行ふの    おもふ          要は思に在り。故に曰く、誠を思ふ」と。又た曰                  まこと  く、「誠は則ち実なり、太虚は天の寔なり、万物  足るを太虚に取る。人亦た太虚に出づ、太虚は心  の寔なり」と。又た曰く、「天地の道は至虚を以  て実と為すにあらざるはなし。人は須らく虚中に  於て実を求め出すべし。聖人は虚の至り、故に其     えら           くは  の善を択ぶこと自から精し。心の虚なる能はざる         しんがい                くさ  者は、物あつて榛礙す。金鉄も時あつて腐れ、山        くだ           やぶ  嶽も時あつて摧く。凡そ有形の物は即ち壊れ易し。       どうやう         しほう  惟だ太虚は動揺なし。故に至宝たり」と。又た曰  く、「天地は虚を以て徳と為す、至善は虚なり、         虚は天地の祖なり、天地は虚中より来る」と。又           げん  た曰く、「虚は仁の原、忠恕は仁と倶に生ず。礼  儀は仁の用なり」と。又た曰く、「敦厚虚静は仁  の本なり。敬和接物は仁の用なり」と。又た曰く、  「心を虚にして然る後能く心を尽す」と。又た曰  く、「虚なれば則ち仁を生ず。仁は理以て之を成  すに在り」と。又た曰く、「虚心なれば則ち外以   るゐ  て累を為すものなし」と。又た曰く、「常に心を               以て天の虚を求むべし。大人は其の赤子の心を失  はず、赤子の心は今知るべきなり、其の虚なるを  以てなり」と。又た曰く、「静は善の本、虚は静  の本。静は猶動に対す、虚は則ち至一なり」と。  右十有一條は、張子人に太虚に帰するを教ゆるの  のり  則なり。而て其の静や、赤子の心や、無累や、仁  や、尽心や、自然や、敬和や、礼義や、忠恕や、  至善や、実や、誠や、太虚より出づるにあらざれ        ば、則ち善しと雖も偽に流る、故に太虚に帰すれ       ば則ち皆其の徳なり。帝王の政、聖賢の学、此れ  に外ならず。吾が党の学人、宜しく心を尽すべき  ものなり。   張子曰、「太虚者、自然之道、行之要在思、   故曰、思誠、」又曰、「誠者則実也、太虚者、   天之寔也、万物取足於太虚、人亦出於太虚、   太虚者、心之寔也」、又曰、「天地之道、無   非至虚実、人須虚中出実、   聖人虚之至、故択其善自精、心之不虚   者、有物榛礙、金鉄有時而腐、山嶽有時而   摧、凡有形之物即易壊、惟太虚無動揺、故   為至宝、」又曰、「天地以虚為徳、至善   者虚也、虚者、天地之祖、天地従虚中来」、   又曰、「虚者、仁之原、忠恕者、与仁倶生、   礼義者、仁之用」、又曰、「敦厚虚静、仁之   本、敬和接吻、仁之用」、又曰、「虚心、然   後能尽心、」又曰、「虚則生仁、仁在理以   成之」、又曰、「虚心則無外以為累」、又   曰、「当心求天之虚大人不其赤子   之心、赤子之心今可知也、以其虚也、」   又曰、「静者、善之本、虚者、静之本、静猶   対動、虚則至一、」右十有一條、張子教人   帰乎太虚之則也、而其静也、赤子之心也、   無累也、仁也、尽心也、自然也、敬和也、礼   義也、忠恕也、至善也、実也、誠也、非   太虚焉、則雖善流於偽故帰乎太虚、   則皆其徳也、帝王之政、聖賢之学、不乎   此、吾党之学人、宜心焉者也、




孟子に「誠は
天の道なり、誠
を思ふは人の道
なり」とあり。











榛礙。さゝは
り妨ぐ。























孟子離婁篇の
語。

















太虚に帰すれ
ば、前の諸善は
皆偽とならず、
徳となる。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その259/その261

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