山田準『洗心洞箚記』(本文)261 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.13

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『洗心洞箚記』 (本文)

その261

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一一一 張子曰く、「学を為すの大益は、自から気                しか  質を変化するを求むるに在り。爾らずんば則ち皆               つひ  人の為めにするの弊にして、卒に発明する所なく、     おう  聖人の奥を見るを得ず」と。張子独り能く太虚を            みづ  了悟するは、亦た只だ自から其の気質を変化せる   けんじつ           およ       こ ひ  の験実なるのみ。二程を見るに比び、即ち虎皮を  てつ        や        かくきしようしん          たれ  撤して講を輟む、此れ客気勝心ある者にして孰か                     くふう  こゝ  之を能くせんや。其の気質を変化せるの功夫は是  に於て推すべし。故に吾が輩は、心の本体、謂は  ゆる至善、謂はゆる中、謂はゆる太極といふもの              しやうえい  を見んことを要せば、則ち障翳する所の気質は、                       とがく  宜しく先づ之を変化すべし。然らずんば則ち徒学  くうだん     いづく                空談のみ、焉んぞ其の一斑を窺ひ得んや。而て呂           東莱先生論語の躬自から厚うするの章を誦し、忽      ふんちくわんぜん    ひようしやく         ち平時の忿渙然として氷釈するを覚え、元の楊             さいよ ひるい  武子幼より論語を読み、宰予昼寝ぬの章に至り、  慨然として志を立つるあり、是れに由つて終身疾             えんぐわ  病にあらざれば未だ嘗て偃臥せざりしの類、皆能  く気質を変化すと謂ふべし。   張子曰、「為学大益、在自求化気質   爾則皆為人之弊、卒無発明、不   聖人之奥、張子独能了悟太虚亦只自変化   其気質之験実也已矣、比二程、即撤虎   皮講、此有客気勝心者、而孰能之哉、   其変化気質之功夫、於是可推矣、故吾輩   要心之本体、所謂至善、所謂中、所謂   太極者、則所障翳之気質、宜先変化之、   不然則徒学空談、焉窺得其一班也、而呂東   莱先生誦論語躬自厚章、忽覚平時忿渙然   氷釈、元楊武子幼読輪語、至宰予昼寝章、   慨然有志、由是終身非疾病嘗偃臥   之類、可皆能変化気質矣、






論語に「今の
学者人の為めに
す」とあり。




張子が程子兄
弟を見るに及び
己れ及ばざるを
覚り虎皮を取り
去つた、虎皮は
比ともいひ、
師の席なり。


障翳。邪魔、
妨げ。

一斑。あらま
し、大概。

呂東莱。宋の
呂祖謙、朱子と
共に近思録を編
す。

衛霊公篇に出
づ。

忿渙然云々。
怒りがさつばり
ととけてしまふ。

楊武子。未だ
検出せず。

公冶長篇に見
ゆ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その260/その262

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