● 人 うさう しん
一一二 司馬温公曰く、「或迂叟に問ふ、神に事ふ
人
るやと、曰く神に事ふと。或曰く、何の神にかこ
れ事ふるやと、曰く、其の心に事ふと。或曰く、
●しよ
其の之に事ふること何如と、曰く、至簡なり、黍
しよく ぎせい た あざむ
稷せず、犠牲せず、惟だ欺かざるをこれ用と為す。
かみ いたゞ しも ふ つゝ
君子は上は天を戴き、下は地を履み、中は心を函
む、之を欺かんと欲すと雖も其れ得んや」と。又
た曰く、「迂叟の親に事ふる、以て人に踰ゆる無
し、能く欺かざるのみ。其の君に事ふるも亦た然
り」と。此れを以て之を観れば、則ち公の学術、
●しんどく
亦た大学の慎独上より来れること知るべし。而て
つゝ
中は心を函むの三字は誠に味あるかな。夫れ心の
神は他にあらず、太虚一団の霊気人の方寸に入る
● つゝ
ものにして、孟子の謂はゆる良知なり。其の函む
とは葢し之を指すなり。之に事ふるの実は、只だ
すなは
其の知を欺かざるのみ。其の知を欺かざるは、便
つか
ち是れ天に事ふるなり。天は即ち人、人は即ち天、
あん ●くわんびん
一に通じて二なきの義なり。公は暗に関 の諸賢
かんぱ どくち
と共に之を看破す、故に独知を欺かざるの実功を
むばうせい つか
積みて、以て无妄誠一の地に至り、君父に事ふる
れうぞく
も是に於てし、僚属に接し弟子に教ゆるも是に於
つうがん ●しよぎ こ
てす、著書通鑑の如く、書儀の如きと雖も、皆這
の一誠より流出し来る。故に後の公の書を看るも
●まんじ
の、公の心学を知らずして、而て漫爾に之を読ま
●りうたう かへ
ば、則ち通鑑を好む者は、流蕩して返らず、書儀
●きよくせき
を治むる者は、跼蹐して大ならず、此に至ちば則
す
ち公の意荒さむ。吾人宜しく謹んで之を学ぶべし。
●
其の余公の格物論は、之を三復して可なり。後儒
駁論する者多しと雖も、然かれども初学之を読み
え ふ き しんどく
て其の意を獲ば、則ち大に不欺慎独の学に益せん。
司馬温公曰、「或問 迂叟 、事 神乎、曰、事
神、或曰、何神之事、曰、事 其心 、或曰、其
事 之何如、曰、至簡矣、不 黍稷 、不 犠牲 、
惟不 欺之為 用、君子上戴 天、下履 地、中函
心、雖 欲 欺 之其得乎、」又曰、「迂叟事 親、
無 以踰 人、能不 欺而已矣、其事 君亦然」、
以 此観 之、則公之学術、亦従 大学慎独上 来
可 知矣、而中函 心之三字、誠有 味哉、夫心之
神、非 他、太虚一団霊気入 人方寸 者、孟子
所 謂良知也、其函者、葢指 之也、事 之之実、
只不 欺 其知 而已矣、不 欺 其知 、便是事 天
也、天即人、人即天、通 一無 二之義、公暗与
関 諸賢 共看 破之 、故積 不 欺 独知 之実
功 、以至 无妄誠一之地 、事 君父 於 是、接
僚属 教 弟子 於 是、雖 著書如 通鑑 如 書儀 、
皆従 這一誠 流出来、故後之看 公書 者、不 知
公之心学 、而漫爾読 之、則好 通鑑 者、流蕩
而不 返、治 書儀 者、跼蹐而不 大、至 此則公
之意荒矣、吾人宜 謹学 之、其余公之格物論、
三 復之 可也、後儒駁論者雖 多、然初学読 之
而獲 其意 、則大益 于不欺慎独之学 、
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●司馬温公。宋
の名臣司馬光、
温公に封せらる、
資治通鑑を著は
す、自ら迂叟と
称す。
●黍稷を供せず、
犠牲を供せず、
惟だ神を欺かぬ
こと、神を欺か
ざるは一面自己
を欺かざる所以
である。
●大学誠意の條
に「故に君子必
ず其独を慎し
む」とあり。
●良知良心の字
は孟子に始めて
見え後王陽明之
を祖述す。
●関 。関は関
中のことにして
張横渠を指し、
は福建のこと
にして、朱子を
指す。
●書儀。温公の
著。
●漫爾。漫然ぼ
んやりと。
●流蕩。歴史に
溺れ耽る。
●跼蹐。規則に
拘束され小さく
なる。
●格物論。論文
の名、温公の集
に出づ。
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