●いうていふ
一一五 遊定夫先生曰く、「仁は人心なり、則ち仁
●
の仁たる、其の本心を得るのみ。且つ心の本体は
じ ゞ ぶつ/\
一つのみ。事事にして之を為し、物物にして之を
つ かさ
愛するにあらず、又日を積み月を累ねて後に至る
かへ かへ
べきにあらざるなり。一日本に反り常に復らば、
ゆ
則ち万物一体、適くとして仁にあらざるはなし。
●おのれ か かへ ●
故に曰く、一日己に克ち礼に復れば、天下仁に帰
せんと。天下仁に帰するは、足ることを己に取り、
か
而て外に藉るあるにあらず。故に曰く、仁を為す
は己に由る、而も人に由らんや」と。一日己に克
●
てば天下仁に帰せんの解、先生及び亀山先生姚江
いた ●いらく
に迄るまで、只だ一轍なり、当に姚江の源、伊洛
しゆし
に由り以て洙泗に発することを知るべし。
遊定夫先生曰、「仁人心也、則仁之為仁、得
其本心而已、且心之本体一而已矣、非事事而
為之、物物而愛之、又非積日累月而後可
至也、一日反本復常則万物一体、無適而非
仁矣、故曰、一曰克己復礼、天下帰仁焉、
天下帰仁取足於己、而非有藉於外、故
曰、為仁由己、而由人乎哉、」一曰克己
天下帰仁焉之解、先生及亀山先生迄姚江只
一轍、当知姚江之源、由伊洛以発洙泗矣、
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●遊定夫。游酢
字は定夫、程子
兄弟を師とす、
大学博士に至る。
●其の本心に外
ならず。
●己に克ち云々。
論語顔淵篇に出
づ。
●吾が万物一体
の仁心により、
天下が吾が仁中
に帰すの解。
●姚江。王隕明。
●伊洛云々。伊
水洛水は程子の
居処より転じて
程子の学を称す、
洙水泗水は孔子
其間に学を講ぜ
しより転じて孔
子の儒道を称す、
程子学より溯つ
て、孔子の儒道
に発源すとなり。
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