山田準『洗心洞箚記』(本文)264 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.16

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『洗心洞箚記』 (本文)

その264

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

    しやじやうさい             いづく     たう 一一四 謝上蔡先生曰く、「他人安んぞ能く我を陶  ちう       みづ   めい  鋳せん、我自から命あり、もし信じ及ばずんば、          すなは  風吹き草動くも、便ち恐懼憂喜を生ぜん」と。又  た曰く、「生は本と好むべきなし、人の生を欲す  る所以は、欲を以てなり。死は本と悪むべきなし、  人の死を悪む所以は、亦た其の欲を以てなり。生        かな  には其の欲に称はんことを求め、死には其の欲を                どう  失はんことを懼れ、天地の間に憧憧として、欲を  以て事と為さざるはなし、而て心学伝らず」と。        かうてい    ●       ●はくちう  先生は程門の高弟にして、亀山先生と伯仲の間な       こう           てうだつ  しんとく  り。静坐の工より、死生を一にするの超脱を心得    がうけつ  す、豪傑の士と謂ふべし。   謝上蔡先生曰、「他人安能陶鋳我、我自有   命、若信不及、風吹草動、便生恐懼憂喜、」   又曰、「生本無好、人之所以欲生者、以   欲也、死本無悪、人之所以悪死者、亦以   其欲也、生求其欲、死懼其欲、憧   憧天地之間、無欲為事、而心学不伝   矣、」先生程門之高弟、而与亀山先生伯仲之   間也、自静坐之工、心得一死生之超脱焉、   可豪傑之士矣、


謝上蔡。宋の
謝良佐、前出陶鋳。陶冶し
て造り出す、幕
は本音(シユ)
通音(チウ)。







憧憧。忙しく
往来する貌。

亀山。楊亀山
名は時。

伯仲。兄弟、
同等の義。

静坐云々。静
座の工夫より死
生一如に達す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その263/その265

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