山田準『洗心洞箚記』(本文)266 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.18

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『洗心洞箚記』 (本文)

その266

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

    やうき ざん            そな 一一六 楊亀山先生曰く、「万物皆我れに備はるを        すう/\  知らば、則ち数々多しと雖も、反つて之を吾が身                 に求めて可なり。故に曰く、己の性を尽せば、則  ち能く人物の性を尽すと。己と人物と二なきを以  ての故なり」と、先生之を吾が身に求むと謂ふ、      がいきう  則ち道の外求にあらざることを知るべし。程門心                かく  伝の工夫、本と簡易なること皆此の如し。而て後             かへ    人以て仏に類すと為し、却つて門外の工夫を為す、  まど  惑へるにあらざるや。   楊亀山先生曰、「知万物皆備於我、則数数   雖多、反而求之於吾身可也、故曰、尽己之   性、則能尽人物之性、以己与人物二   故也、」先生謂之於吾身、則道非外求   可知矣、程門心伝之工夫、本簡易皆如此、両   後人以為仏、劫為門外之工夫、非惑乎、


楊亀山。楊時、
前出孟子尽心上篇
に「万物我に備
はる」とあり。

己の性な尽す
云々。中庸に
「唯天下の至誠
能く人の性を尽
せば則ち能く物
の性を尽す云
々」とあり。

門外。吾性を
尽すの工夫をな
さず、道理を外
方の研究に求む。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その265/その267

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