山田準『洗心洞箚記』(本文)268 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.20

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『洗心洞箚記』 (本文)

その268

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一一八 楊亀山先生曰く、「学者書を読むの法は、                      身を以て之を体し、心を以て之を験し、燕間静一     しようようもくくわい   の中に従容黙会し、書言象意の外に超然自得す」               いぜん  さいせき    そな  と。又た曰く、「堯舜より已前、載籍未だ具はら                ふくぎくわく       はつ  ず、世にある所のものは、独り犧画する所の八    卦のみ。是の時に当り、聖賢彼の如く其れ多し、    さんていけいさく     しん  へ     へ  孔子刪定繋作の後より、秦を更漢を歴、以て今に  いた         あ  迄る、其の書勝げて記すべからざるに至る。人の                     やす  資りて以て学と為す所のものは、宜しく古に易か  るべし。然かも其の間千数百年、一人の古の聖賢             つひ  の如きものを求むるに、卒に得易らざるは何ぞや。  豈道の伝はる所は、固より文字の多寡に在らざる         かうえう  こゝ    かんが  か。夫れ堯舜禹皐陶皆「若に古を稽ふ」と称せり、  学に待つ無きにあらざるなり。 其の学は果して  何を以てせるや。是れに由つて之を観れ ば、則  ち聖賢の聖賢たる所以は、其の心を用ふる、必ず  在るところあらん、学者之を察せざるべからず」  と。右二條は、程門相伝の読書の訣なり。前の一      りくしやうざん             ちう  條は乃ち陸象山先生の謂はゆる「六経は皆我が註 きやく  脚」の意にして、而て亀山先生の言は則ち湿潤な  り。後の一條は、亦た象山先生の弁ずる所にして、    堯舜の前、何の書をか読むべきの旨にして、而て  亀山先生の語は則ち優婉なり。之を要するに書を                    い ふ  読まば則ち心得躬行を貴ぶ。楽めば則ち伊傳、憂       がんびん  ふれば則ち顔閔、其の志なければ、則ち亀山、象  山二先生の言、皆耳に入らず、反て以て之を仇と  す。世道の衰ふる、豈悲しむべきにあらずや。   楊亀山先生曰、「学者読書之法、以身体之、   以心験之、従容黙会於燕間静一之中、超   然自得於書言象意之外、」又曰、「自堯舜   已前、載籍未具、世所有者、独犧所画八   卦耳、当是之時、聖賢如彼其多也、自孔   子刪定繋作之後、更秦歴漢、以迄于今、   其書至勝記、人之所資以為学者、   宜於古、然其間千数百年、求一人如   古之聖賢、卒不得、何哉、豈道所伝固   不於文字之多寡乎、夫堯舜禹皐陶、皆   称若稽古、非於学也、其学果何以   乎、由是観之、則聖賢之所以為聖賢、   其用心必有在矣、学者不之也、」   右二條、程門相伝読書之訣也、前一條、乃陸   象山先生所謂、「六経皆我註脚」之意、而   亀山先生之言則温潤矣、後一條、亦象山先生   所弁、堯舜之前、何書可読之旨、而亀山先   生之語則優婉矣、要之読書則貴心得躬行、   楽則伊伝、憂則顔閔、無其志、則亀山象山   二先生之言、皆不耳、反以仇之、世道   之衰豈非悲乎、



燕間静一。燕
は安、間はゆる
やか、静はしづ
か、一は心が散
らぬこと。

書言象意。文
字、言語、形象、
意念。

犧。伏羲に
同じ、始めて易
の八卦を画す。

刪定繋作。詩
書を刪り定め、
易に伝を繋け、
又た春秋を作る。





皐陶。人名、
舜の時、法に明
らかなりし人。

書経の二典三
謨には皆曰若稽
古の字を冠せり。





六経云々。南
宋陸象山の語な
り、我心は即ち
理にして根本な
り、六経は我が
心を説明したる
に過ぎずとなす。

堯舜云々。大
昔には読むべき
書物も無かりし
にも拘らず人物
が生れた、象山
の語なり。

伊傳云々。伊
尹は殷湯王の宰
相、傳説(ふえ
つ)は殷の高宗
の名和、顔回と
閔子とは孔子の
高弟皆仕へざり
しこと、論語に
見ゆ、時を得て
楽しめば伊尹傳
説となり、時を
得ず憂ふれば顔
回閔子騫となる。


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