山田準『洗心洞箚記』(本文)269 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.21

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『洗心洞箚記』 (本文)

その269

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

    らよしやう      しうこう 一一九 羅予章先生曰く、「周孔の心は、人をして  道を明かにせしむ。学者果して能く道を明らかに              おのづ  すれば、則ち周孔の心深く自から之を得ん。三代  の人才、周孔の心を得て道を明らかにするもの多  し、故に死生去就を視ること、寒暑昼夜の移る如  く、而て忠義之を行ふ者易し。漢唐に至り、経術        たつと  古文を以て相尚び、而て周孔の心を失ふ、為に於  て道を明かにする者寡し、故に死生去就を視るこ     きん  てい  と、万鈞九鼎の重きが如く、而て忠義之を行ふ者                   おとろ  難し、鳴呼、学者の見る所、漢唐より衰ふ」と。                      ひをく  先生の謂はゆる周孔の心は、即ち太虚なり。比屋  及び弟子、其の教に因つて亦た其の心を得、故に  其の死生去就を視ること彼の如し。漢唐已来名賢        こ し       こゝろきよ  の外は、大抵己私心を塞ぎ、而て心虚を失ふ、故                     に其の死生去就を視ること此の如し。此くして経         を治め文を為くる、聖賢より之を視れば、則ち何          のうげん  あうむ  とか謂はん、必ず能言の鸚鵡と為さん。故に聖学  は周孔の心を得るの外、別に力を尽すべきものな  し。而て周孔の心は即ち人と二なし。然れど、吾      こ し  れ亦た己私心を塞ぎ了れり。先生の言を読みて、  あせ     うるほ   せき  ほゝ      こゝろ  汗・背を湿し、赤・頬に発す。嘗みに同志に問ふ、  子等如何と。   羅予章先生曰、「周孔之心、使人明道、学者   果能明道、則周孔之心深自得之、三代人才、   得周孔之心而明道者多、故視死生去就、   如寒暑昼夜之移、而忠義行之者易、至漢   唐経術古文相尚、而失周孔之心、於是   明道者寡、故視死生去就、如万鈞九鼎之   重、而忠義行之者難、鳴呼、学者所見自漢   唐衰矣、」先生所謂周孔之心者、即太虚也、   比屋及弟子、因其教亦得其心、故其視死   生去就彼、漢唐已来名賢之外、大抵己私   塞乎心、而心失虚矣、故其視死生去就   此、此而治経為文、自聖賢之則謂何、   必為能言之鸚鵡矣、故聖学得周孔之心之   外、別無力者、而周孔之心、即与人無   二、然吾亦己私塞乎心了、読先生言、汗   湿背、赤発頬、嘗問於同志、子等如何、


羅予章。羅従
言、字は仲素、
楊亀山に学ぶ。
予章先生と称す。

周孔。周公旦
と孔子。









万鈞・九鼎。
一鈞は三十斤、
昔者禹王九州の
金を以て鼎を鑄
る、両者皆重し。

比屋。比は並
ぶ、軒並び、毎
戸の意。



己私。自己中
心の我意。




能言鸚鵡。礼
記曲礼に「鸚鵡
能く言へども飛
鳥を離れず」と
あり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その268/その270

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