山田準『洗心洞箚記』(本文)267 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.19

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『洗心洞箚記』 (本文)

その267

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一一七 楊亀山先生曰く、「天下を通じて一気のみ、  合して生じ、尽きて死す。凡そ心知血気あるの類  は、物として然らざるは無きなり。合の来るにあ  らず、尽の往くにあらざることを知らば、則ち其     ふおう               えつ  の生や浮、其の死や氷釈、昼夜の常の如く、悦  せき  戚するに足るものなし」と。先生の此悟は、全く せいもう          しうさん       えき  正蒙の太虚は一気聚散の説より来る。易に謂はゆ     たづ     かへ  る始を原ね終に反る、故に死生の説を知るものな                  いひいんじゆん  り。故に其の終身道を論ずるに、畏避因循の態無         じやうそく  かりき。程門の上足の高弟、斯人にあらずして誰  ぞや。   楊亀山先生曰、「通天下一気耳、合而生、尽   而死、凡有心知血気之類、無物不然也、知   合之非来尽之非往、則其生也浮、其死也氷   釈、如昼夜之常、無悦戚、」先生此   悟、全従正蒙太虚一気聚散之説来、易所謂   原始反終、故知死生之説者也、故其終身論   道、無畏避因循之態、程門上足高弟、非斯   人而誰歟、







。水上の
泡。

悦戚。悦と、
悲しみ。

正蒙。張横渠
の著、前出易の繋辞伝に
出づ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その266/その268

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