山田準『洗心洞箚記』(本文)273 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.12.25

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その273

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一二二 李延平先生曰く、「書を読む者は、其の言  ふ所吾が事にあらざるなきを知り、而て吾が身に    即いて以て之を求むれば、則ち凡そ聖賢の至る所、  而て吾れの未だ至らざる所のもの、皆知るべし、         もし直ちに文字を以て之を求むれば、其の詞義を                 ぐわんぶつさうし  悦び、以て誦説に資するも、其の玩物喪志たらざ    ほとん まれ  る者幾ど希なり」と。夫れ書を読むは則ち吾が身     に即いて以て之を求む、之を求むる所以のものは、            吾が心の理経籍に載るを以ての故なり。此れは是   てい       けつ  れ程門読書の訣にして、先生毎毎学者の為めに言             ゆるが   りうたう   かへ  へり。而も末学只だ之を忽せにし、流蕩して反る               ほと    まれ  を忘れ、玩物喪志ならざる者幾んど希なり。吾人 すべか      いましめ う  須らく其の誡を承けて其の教を奉ずべし。   李延平先生曰、読書者、知其所言莫吾   事、而即吾身以求之、則凡聖賢所至、而   吾所至者、皆可知矣、若直以文字   之、悦其詞義、以資誦説、其不玩物   喪志者幾希、」夫読書則即吾身以求   之、所以求之者、以吾心理載於経籍故   也、此是程門読書之訣、先生毎毎為学者言、   而末学只忽之、流蕩忘反、不玩物喪志者   幾希、吾人須其誠而奉其教矣、









文字を以て云
々。吾が事とせ
ずして、文字と
して講求す。

玩物喪志。書
経旅契篇に「人
を玩べは徳を喪
ふ、物を玩べは
志を喪ふ」とあ
り。物に対する
嗜好の強きより
本心を喪ふ。

流蕩云々。流
れ溺れて我が身
心に反ることを
忘る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その272/その274

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ