山田準『洗心洞箚記』(本文)274 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その274

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

                  こ  り 一二三 朱子曰く、「太極は只だ是れ一箇の理の字」       あん  と。謹んで按ずるに、朱子は理の字を以て太極を  くん  訓ず、吾人甚だ解し易し。是れ陽明先生の謂はゆ      る、文義を解き得て明当の処、如何ぞ一字を動か                 けいじじやう  し得んといへるものなり。夫れ理は形而上、声臭  なきものにして、而て謂はゆる太虚なり。太虚は            げんかうりてい  空にあらず、是れ乃ち元亨利貞春秋冬夏を合せて  一にせる所以のもの、即ち是れ太極なり。末学若                 し只だ理は実也の説を読みて、誤つて理を以て実  形あるものと為さば、則ち大惑なり。但だ己を誤  るのみにあらず、大に人を誤る、知らざるべから  ざるなり。   朱子曰、「太極只是一箇理字、」謹按、朱子以   理字太極吾人易甚解、是陽明先生所謂   文義解得明当処、如何動得一字者也、夫理   形而上無声臭者、而所謂太虚也、太虚非空、   是乃所以合元亨利貞春秋冬夏而一焉者、即   是太極也末学若只読理実也之説、誤以理為   有実形則大惑也、非但誤己、大誤人、   不知也、


太極。易の繋
辞伝に「易に太
極あり」といふ、
漢以来多く気を
以て太極を解す、
朱子は理を以て
之を解す。
伝習録に出づ。

形而上。形而
下に対して云ふ、
無形の義理、道
等は是なり、易
の繋辞伝に、
「形而上は之を
道といふ」とあ
り。
声臭。詩経に
「上天の載(こ
と)は声もなし
臭もなし」とあ
り、因て天理天
道を無声無臭と
いふ。

理は実。朱子の
語。

実形。実形あ
れば形而下とな
る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その273/その275

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