山田準『洗心洞箚記』(本文)275 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その275

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

               一二四 朱子曰く、「只だ是れ一気、陽消する処、 すなは          をは           こ  便ち是れ陰。是れ陽退き了つて、又別に箇の陰あ  つて生ずるにあらず」と。朱子の此の陰陽消息の       説は、程張より来る。而て天地は一気のみ、太極       が        うんかうふ よ  と雖も之に駕して以て運行賦与す、即ち是れ二に  して一なり。之を知らば則ち生死は特に其の聚散  進退のみ。   朱子曰、「只是一気、陽消処便是陰、不是陽   退了、又別有箇陰」朱子此陰陽消息之説、   従程張来、而天地一気而已矣、雖太極而駕   之以運行賦与焉、即是二而一、知之則生死特   其聚散進退耳、


一気。陰陽は
只是れ一気。



程張。程子と、
張横渠を云ふ。

之に駕す云々。
朱子が理を以て
解する太極も、
一気に駕し乗つ
て運行し、人物
に性命を賦与す、
即ち一気と太極
は二にして一な
り。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その274/その276

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