山田準『洗心洞箚記』(本文)279 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.15

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『洗心洞箚記』 (本文)

その279

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一二八 朱子曰く、「学の一字は、実に致知力行を                  兼ねて言ふ」と。又た曰く、「博学・審問・慎思・  明弁・篤行は、皆学の事なり」と。又た曰く、              「学者の工夫は、惟だ居敬窮理の二事に在り、能  く理を窮むれば、則ち敬に居るの工夫日に益々進  む。能く敬に居れば、則ち理を窮むるの工夫日に                  益々密なり」と。又た曰く、「涵養中自から理を  窮むる工夫ありて、其の養ふ所の理を窮む。理を  窮むる中自から涵養の工夫ありて、其の窮むる所          すべ           わづ  の理を養ふ。両項都て相離れず、才かに見て両処      すなは  と成せば便ち得ず」と。又た曰く、「既に涵養せ           ば、又た須らく知を致すべし。既に知を致せば、                      又た須らく力行すべし。亦た須らく一時並了すべ  し、今曰涵養し、明曰知を致し、後日力行すと謂  ふにあらざるなり」と。又た曰く、「理を窮むる                        には、且つ己に切にするの工夫あらしめよ。若し    ひろ  只だ泛く天下万物の理を窮めて、己に切にするこ            ●            ●  とを務めずんば、即ち遺書に謂はゆる遊騎帰るな                きなり」と。右の六條中に就いて、朱子云ふ所の  がく  学や、敬に居るや、理を窮むるや、涵養や、知を  致すやを観れば、則ち皆内外を合一するの道にし              て、而て未だ嘗て其の末学一偏の弊あるを見ざる                わづ  なり。且つ其の両項相離れず、才かに見て両処と  成せば便ち之を得ずと曰ふが如き、今曰涵養し、  明日知を致し、後日力行すと謂ふにあらず、及び                   しんせつていねい  遺書に謂はゆる遊騎帰る無しと、誠に親切叮嚀に              おもんばか  して、後人の為めに、之を慮るや深し。学者宜し  く両項相離れて両処と成り、徒に物理を窮むるに  託して、而て遊騎帰る無きが如きの罪を免れ、以  て朱子の賜に報ゆべし、是れ善学なり。   朱子曰、「学之一字、実兼致知力行而言、」   又曰、「博学審問慎思明弁篤行、皆学之事、」   又曰、「学者工夫、惟在居敬窮理二事、能   窮理別居敬工夫日益進、能居敬別窮理工   天日益密、」又曰、「涵養中自有理工夫、   窮其所義之理、窮理中自有涵養工夫、   養其所窮之理、両項都不相離、才見成   両処便不得、」又曰、「既涵養、又須   知、既致知、又須力行、亦須一時並了、   非今曰涵養、明日致知、後日力行也、」   又曰、「窮理且令己工夫、若只泛   窮天下万物之理、不己、即遺書所   謂遊騎無帰、」就右六條中、観朱子所   云之学也居敬也窮理也涵養也致知也、   則皆合一内外之道、而未嘗見其末学   一偏之弊也、且如其曰両項不相離、才   見成両処便不之、与今曰涵養、   明曰致知、後日力行、及遺書所謂遊騎無   帰、誠親切叮嚀、為後人之也深矣、学   者宜両項相離成両処、徒託物理、   而如遊騎無帰之罪以報朱子之賜、是善   学也、




博学云々。中
庸に出づ。


居敬窮理。こ
れ朱子学の学的。





涵養。水にひ
たし(涵)養ふ
如く、だん/\
に本心を養ふこ
と、即ち居敬の
工夫。



知を致す。知
識を致し、研究
する。

並了。涵養と
致知と力行とを
一時に并せすま
す。





遺書。二程遺
書。

遊騎云々。目
的なき遊騎が、
あるき廻つて帰
るを忘れたる義、
万物の理をあさ
り廻つて、己に
反るを忘れたる
に喩ふ。

末学一偏。末
流の学者は、外
に向つて理を窮
むるに偏す。


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