● と
一二七 朱子曰く、「中庸に説く、天の命ずる之を
したが
性と謂ふは、即ち此の心なり。性に率ふ之を道と
謂ふも、亦た此の心なり。道を修むる之を教と謂
ふも、亦た此の心なり。以て中和を致し化育を賛
●
するに至るも亦た只だ此の心なり。知を致すは即
いた いた ●
ち心の知なり、物に格るは即ち心格るなり、己に
か
克つは即ち心克つなり」と。又た曰く、「一心万
そな きは
理を具ふ、能く心を存して後以て理を窮むべし」
しれい
と。又た曰く「人心は至霊千万里の遠き、千百世
かみ そのうち
の上、一たび纔に念を発すれば、便ち那裏に到る、
たん ぼ ●
神妙此の如し。旦より暮に至るまで、只管展転利
すべ
欲の中に処り、都て知覚せず」と。此の三條、初
めの一條は、中庸と大学と論語との総解なり。中
の一條は、孟子の謂はゆる君子の人と異なる所以
のものは、其の心を存するを以てなりの義を解く。
●りんでき
終の一條は、利欲に淪溺する者は、心の霊妙を知
覚する能はざるを説くなり。能く之を観れば、則
すべ ●
ち事事言言、都て心に帰す、而て陸子の説と分毫
も異ならざるなり。然かも陸子は則ち其の言常に
峻なるのみ。朱子の如きは、則ち温にして而て厳
なり。是れ性の然らしむる所、而て人力の及ぶ所
●
に非ざるなり。而て朱陸異同の争は、其の門人の
● こ ● ● ●
勝心に起る。斯の義や、徐存斎・黄石斎・周巣軒・
●し ぐ べんぱく つく
施愚山諸先生弁白して尽せり、吾れ亦た何ぞ贅せ
ん。只だ吾が輩旦暮利欲の中に展転して知覚せざ
●ころう
るの瞽聾を治めず、而て自から朱子を学ぶと謂ふ
と雖も、朱子の霊、決して受けず。自から陸子を
れい
学ぶと謂ふと雖も、陸子の霊、亦た決して受けず。
然らば則ち之を目して俗学と謂ふの外、名号なし。
あゝ は
吁、愧づべし、又た悲しむべし。
朱子曰、「中庸説、天命之謂性、即此心也、
率性之謂道、亦此心也、修道之謂教、亦此
心也、以至於致中和、賛化育、亦只此心
也、致知、即心知也、格物、即心格也、克
己、即心克也、」又曰、「一心具万理、能
存心而後可以窮理」又曰、「人心至霊、千
万里之遠、千百世之上、一纔発念、便到那
裏、神妙如此、自旦至暮、只管展転処於
利欲之中、都不知覚、此三條、初一條、中
庸大学与論語之総解也、中一條、解孟子所
謂君子所以異於人者、以其存心也之義、
終一條、説淪溺利欲者、不能知覚心之
霊妙也、能観之則事事言言、都帰乎心矣、
而不与陸子説分毫異也、然陸子則其言常
峻而已、如朱子則温而厳、是性之所使然、
而非人力所及也、而朱陸異同之争、起乎其
門人之勝心、斯義也、徐存斎・黄石斎・周巣
軒・施愚山諸先生弁白而尽矣、吾亦何贅、只
吾輩不治旦暮展転利欲中、不知覚之瞽
聾、而雖自謂学朱子、朱子之霊、決不
受焉、雖自謂学陸子、陸子之霊、亦決不
受焉、然則目之謂俗学之外無名号、吁、
可愧、又可悲、
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●中庸首章の文。
●知を致し、物
に格る、大学の
説。
●己に克つ、論
語に出づ。
●只管展転。一
生懸命にふしつ
ころびつしても
がく。
●淪溺。沈みお
ぼる。
●陸子。陸象山。
●朱陸異同の争。
朱子と陸象山と、
太極其他の学説
について論争す、
以後両派の学者
が長く其の異同
を論争せしを云
ふ。
●勝心。負けじ
魂、即ち勝ち気。
●徐存斎。徐階、
明の名士、文貞
と謚せらる。
●黄石斎。明の
黄道周、前出。
●周巣軒。未だ
検出せず。
●施愚山。清の
施閏章、文章に
長ず。
●瞽聾。めくら
と、つんぼ。
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