山田準『洗心洞箚記』(本文)278 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.13

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『洗心洞箚記』 (本文)

その278

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

             一二七 朱子曰く、「中庸に説く、天の命ずる之を                  したが  性と謂ふは、即ち此の心なり。性に率ふ之を道と  謂ふも、亦た此の心なり。道を修むる之を教と謂  ふも、亦た此の心なり。以て中和を致し化育を賛                    するに至るも亦た只だ此の心なり。知を致すは即           いた         いた     ち心の知なり、物に格るは即ち心格るなり、己に    克つは即ち心克つなり」と。又た曰く、「一心万    そな              きは  理を具ふ、能く心を存して後以て理を窮むべし」             しれい  と。又た曰く「人心は至霊千万里の遠き、千百世   かみ               そのうち  の上、一たび纔に念を発すれば、便ち那裏に到る、         たん    ぼ        神妙此の如し。旦より暮に至るまで、只管展転利         すべ  欲の中に処り、都て知覚せず」と。此の三條、初  めの一條は、中庸と大学と論語との総解なり。中  の一條は、孟子の謂はゆる君子の人と異なる所以  のものは、其の心を存するを以てなりの義を解く。           りんでき  終の一條は、利欲に淪溺する者は、心の霊妙を知  覚する能はざるを説くなり。能く之を観れば、則        すべ          ち事事言言、都て心に帰す、而て陸子の説と分毫  も異ならざるなり。然かも陸子は則ち其の言常に  峻なるのみ。朱子の如きは、則ち温にして而て厳  なり。是れ性の然らしむる所、而て人力の及ぶ所             に非ざるなり。而て朱陸異同の争は、其の門人の            ●       ●      ●     勝心に起る。斯の義や、徐存斎・黄石斎・周巣軒・  し ぐ        べんぱく   つく  施愚山諸先生弁白して尽せり、吾れ亦た何ぞ贅せ  ん。只だ吾が輩旦暮利欲の中に展転して知覚せざ    ころう  るの瞽聾を治めず、而て自から朱子を学ぶと謂ふ  と雖も、朱子の霊、決して受けず。自から陸子を              れい  学ぶと謂ふと雖も、陸子の霊、亦た決して受けず。  然らば則ち之を目して俗学と謂ふの外、名号なし。  あゝ  は  吁、愧づべし、又た悲しむべし。   朱子曰、「中庸説、天命之謂性、即此心也、   率性之謂道、亦此心也、修道之謂教、亦此   心也、以至於致中和、賛化育、亦只此心   也、致知、即心知也、格物、即心格也、克   己、即心克也、」又曰、「一心具万理、能   存心而後可以窮理」又曰、「人心至霊、千   万里之遠、千百世之上、一纔発念、便到那   裏、神妙如此、自旦至暮、只管展転処於   利欲之中、都不知覚、此三條、初一條、中   庸大学与論語之総解也、中一條、解孟子所   謂君子所以異於人者、以其存心也之義、   終一條、説溺利欲者、不覚心之   霊妙也、能観之則事事言言、都帰乎心矣、   而不陸子説分毫異也、然陸子則其言常   峻而已、如朱子則温而厳、是性之所使然、   而非人力所及也、而朱陸異同之争、起乎其   門人之勝心、斯義也、徐存斎・黄石斎・周巣   軒・施愚山諸先生弁白而尽矣、吾亦何贅、只   吾輩不旦暮展転利欲中、不知覚之瞽   聾、而雖自謂朱子、朱子之霊、決不   受焉、雖自謂陸子、陸子之霊、亦決不   受焉、然則目之謂俗学之外無名号、吁、   可愧、又可悲、



中庸首章の文。






知を致し、物
に格る、大学の
説。

己に克つ、論
語に出づ。







只管展転。一
生懸命にふしつ
ころびつしても
がく。







淪溺。沈みお
ぼる。


陸子。陸象山。



朱陸異同の争。
朱子と陸象山と、
太極其他の学説
について論争す、
以後両派の学者
が長く其の異同
を論争せしを云
ふ。

勝心。負けじ
魂、即ち勝ち気。

徐存斎。徐階、
明の名士、文貞
と謚せらる。

黄石斎。明の
黄道周、前出周巣軒。未だ
検出せず。

施愚山。清の
施閏章、文章に
長ず。

瞽聾。めくら
と、つんぼ。


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