山田準『洗心洞箚記』(本文)28 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.4

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『洗心洞箚記』 (本文)

その28

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

        三九 孔子自ら素王と称すれば則ち不可なり。而て後                        人素王と称するは則ち不可なることなし。左丘明        自ら素臣と称すれば則ち不可なり。而て後人素臣   と称するは則ち不可なることなし。春秋の経は、                 ちつちよく  じようしやく   三代の典刑にして、而て善悪を黜陟するの縄尺な              ぎようせき   り。左氏の伝は、上下の行迹にして、而て妖魔を        ごうきやう   照燭するの業鏡なり。只だそれ縄尺なり、万世天   下を治む、素王にあらずして何ぞ。只だそれ業鏡   なり、当時の邪正を公にす、素臣にあらずして何   ぞ。且つもし伝なくば、則ち天子諸侯より士大夫               しめつ             ちか   に至るまで、邪心醜態、滅して聞ゆるなきに庶              しよう   し。然らば則ち妖魔各々照を逃れ、而て来世の人        亦た懲るるを知らず。故に学者誠心其の伝を読む   者は、善悪の心を起さざるを得ず。然れども邪心   俗慮を以て之を読まば、則ち已に反つて妖魔に化             こうしよく   せられ、而て業鏡其の垢蝕する所となり、左氏の   本旨を失ふこと益々遠からん。    孔子自称素王則不可、而後人称素王則無不    可也、左丘明自称素臣則不可、而後人称素    臣則無不可也、春秋之経、三代之典刑、而    黜善悪陟之縄尺也、左氏之伝、上下之行迹、    而照燭妖魔業鏡也、只其縄尺也、治万世天    下焉、非素王而何、只其業鏡也、公当時邪    正焉、非素臣而何、且如無伝、則自天子諸    侯士大夫、邪心醜態、庶滅無聞矣、    然則妖魔各逃照、而来世之人亦不懲、故    学者誠心読其伝者、不善悪之心、    然以邪心俗慮之、則已反化妖魔、而業    鏡為其所垢蝕左氏之本旨益遠矣、



素王。位なく、
王たる徳のある
人、杜預の左伝
序に見ゆ。孔子
を称す。

左丘明。左伝
を著はす。

素臣。素王の
臣、左伝序に見
ゆ。

縄尺。のり、
おきて。

業鏡。仏語、
業は因縁、それ
を照らす鏡。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その27/その29

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