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一三一 陸子曰く、「古人皆是れ実理を明らかにし、
な おや
実事を做す」と。又た曰く人は親を愛し兄を敬す
くら
るを知らざる無し、利欲の為めに昏まさるるに及
すなは
んでは便ち然らず。其の事を発明せんと欲すれば、
たゞ くら ししゆつ すなは
止彼の利欲に昏まさるる処を指出せば、便ち愛敬
おのづ ●たうぐ
自から在り。此れ是れ唐虞三代の実学にして、後
こゝ
世と異なる処此に在り」と。謹んて按ずるに、陸
し い し へい ●ごさう
子の此の二條の説は、至易至平にして、而て呉草
ろ しようたん ●へきりつ じん
廬先生称嘆する所の「陸子壁立千仭の勢」を見る
しさい ぐわんみ
なきが如し。然れども子細に玩味すれば、則ち壁
いんぜん
立千仭の勢、其の中に隠然たり。何となれば則ち
な し い し へい
実理を明らかにし、実事を做すは至易至平にして、
ぐふうふ
而て愚夫婦の知り能くし易き所なりと雖も、其の
かた
至れるに及んでや、聖人も亦た難き所あり。又た
りよう ●ねんしゆつ
其の愛敬の良を利欲に昏まさるる処より拈出し、
くわんせい しゆだん し い し へい
以て愚夫婦を喚醒する手段は、亦た至易至平の如
し したが
しと雖も、然かも斯の道に遵つて、唐虞三代の聖
しんくわ へきりつ じん くはだ
人と神化を同じうせんとす、則ち壁立千仭、人企
も ご き
て及び難き所にあらざらんや。若し只だ其の語気
しゆんいつふんじん と
の峻逸奮迅なるものを採りて、以て之を壁立千仭
●ひ ふ
と謂はば、則ち皮膚の論にして、而て真に陸子を
●う
知る者にあらざるなり。其の書を読むに因つて宇
ちゆう かい う
宙の二字に至る。解に曰ふ、四方上下を宇と曰ひ、
わうこらいこん ちう たいせい
往古来今を宙と曰ふと、忽ち大省して曰く、元来
むきう うち
無窮なり、人と天地万物とは、皆無窮の中に在る
うちうない おの ●ぶんない おの
ものなり。宇宙内の事は、乃ち己が分内の事、己
が分内の事は、乃ち宇宙内の事なり。東海に聖人
出づるあるも、此の心同じ、此理同じ。西海に聖
人出づるあるも、此の心同じ、此の理同じ。南海
北海に聖人出づるあるも、此の心同じ、此の理同
かみ しも
じ。千万世の上より、千百世の下に至るまで、聖
人出づるあるも、則ち此の心同じ、此の理同じ。
どう じ
道外に事なく、事外に道なし、道理は只だ是れ眼
●でんち けんたう
前の道理。聖人の田地に見到すと雖も、亦た只だ
ぜんこ みはつ
是れ眼前の道理なり等の諸説は、前古未発の言な
くわいしや ●えんぶん
りと雖も、既に人口に膾炙し、而て人今厭聞と為
せり。是れ言の罪にあらざるなり、人の罪なり。
し じゆん
然かも陸子の学の純を見んと要すれば、則ち只だ
な りやう
実理を明らかにし実事を做すと、愛敬の良を人欲
くら ねんしゆつ じ よ
に昏まさるる処より拈出するとに在るのみ。自余
おほむ ●ちうきやく
の諸説は概ね其の註脚なるかな。
陸子曰、「古人皆是明 実理 、做 実事 、」又
曰、「人無 不 知 愛 親敬 兄、及 為 利欲 所
昏便不 然、欲 発 明其事 、止被 彼利欲昏 処
指出、便愛敬自在、此是唐虞三代実学、与 後
世 異処在 此」、謹按、陸子此二條之説、至易
至平、而如 無 見 呉草廬先生所 称嘆 、陸子
壁立千仭之勢 也、然子細玩味、則壁立千仭之
勢隠 然乎其中 矣、何則明 実理 、做 実事 、
雖 至易至平、而愚夫婦之所 易 知能 、及 其
至 也、聖人亦有 所 難焉、又其拈 出愛敬之良
於利欲昏処 、以喚 醒愚夫婦 手段、雖 亦如
至易至平 、然遵 期道 、将 与 唐虞三代之聖
人 同 神化 、則非 壁立千仭人所 難 企及 矣
耶、若只採 其語気之峻逸奮迅者 、以謂 之壁
立千仭 、則皮膚之論、而非 真知 陸子 者 也、
其因 読 書至 宇宙二字 、解曰、四方上下曰
宇、往古来今曰 宙、忽大省曰、元来無窮、人
与 天地万物 、皆在 無窮中 者也、宇宙内事、
乃己分内事、己分内事、乃宇宙内事、東海有
聖人出 焉、此心同也、此理同也、西海有 聖
人出 焉、此心同也、此理同也、南海北海有
聖人出 焉、此心同也、此理同也、千万世之上、
至 千百世之下 、有 聖人出 焉、則此心同也、
此理同也、道外無 事、事外無 道、道理只是
眼前道理、雖 見 到聖人田地 、亦只是眼前
道理等之諸説、雖 前古未発之言 、既膾 炙人
口 、而人今為 厭聞 、是非 言之罪 也、人之
罪也、然要 見 陵子之学之純 、則只在 於明
実理 做 実事 、与 拈 出愛敬之良於人欲昏処
而已矣、自余諸説、概其註脚也夫、
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●陸子。南宋の
陸象山、名は九
淵、前出。
●堯舜と夏殷周。
●呉草廬。元の
呉澄、字は幼清、
泰定の初、軽筵
講官たり、陸象
山の学に契す、
著書多し。草廬
先生と称す。
●壁立千仭。巉
巌が千仭も突き
立つて居る、見
識の高くするど
きを形容する。
●拈出。放り出
す。
●皮膚の論。表
面皮相の論。
●陸子書を読ん
で「宇宙」の二
字を、四方上下
云々と解せるに
遇ひ、忽ち天人
万物皆無窮にし
て、此の心此の
理万古同じ、而
かも眼前の道理
なることを大省
したり。
●分内の事。当
然つとむべき本
分内の事といふ
如し。
●田地。心地心
境といふ如し。
●厭聞。聞きあ
きて居ること。
●註脚。本文に
対する註脚にて、
重からぬ義。
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