山田準『洗心洞箚記』(本文)283 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その283

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

     一三一 陸子曰く、「古人皆是れ実理を明らかにし、               おや  実事を做す」と。又た曰く人は親を愛し兄を敬す                 くら  るを知らざる無し、利欲の為めに昏まさるるに及     すなは  んでは便ち然らず。其の事を発明せんと欲すれば、  たゞ         くら           ししゆつ    すなは  止彼の利欲に昏まさるる処を指出せば、便ち愛敬 おのづ        たうぐ  自から在り。此れ是れ唐虞三代の実学にして、後        こゝ  世と異なる処此に在り」と。謹んて按ずるに、陸             し い し へい      ごさう  子の此の二條の説は、至易至平にして、而て呉草   ろ    しようたん      へきりつ じん  廬先生称嘆する所の「陸子壁立千仭の勢」を見る             しさい ぐわんみ  なきが如し。然れども子細に玩味すれば、則ち壁            いんぜん  立千仭の勢、其の中に隠然たり。何となれば則ち               な     し い し へい  実理を明らかにし、実事を做すは至易至平にして、     ぐふうふ  而て愚夫婦の知り能くし易き所なりと雖も、其の                かた  至れるに及んでや、聖人も亦た難き所あり。又た       りよう           ねんしゆつ  其の愛敬の良を利欲に昏まさるる処より拈出し、        くわんせい   しゆだん    し い し へい  以て愚夫婦を喚醒する手段は、亦た至易至平の如        し           したが  しと雖も、然かも斯の道に遵つて、唐虞三代の聖    しんくわ           へきりつ じん   くはだ  人と神化を同じうせんとす、則ち壁立千仭、人企                 も          ご き  て及び難き所にあらざらんや。若し只だ其の語気   しゆんいつふんじん         と  の峻逸奮迅なるものを採りて、以て之を壁立千仭         ひ ふ  と謂はば、則ち皮膚の論にして、而て真に陸子を                         知る者にあらざるなり。其の書を読むに因つて宇 ちゆう            かい           宙の二字に至る。解に曰ふ、四方上下を宇と曰ひ、  わうこらいこん  ちう       たいせい  往古来今を宙と曰ふと、忽ち大省して曰く、元来   むきう                うち  無窮なり、人と天地万物とは、皆無窮の中に在る        うちうない      おの ぶんない     おの  ものなり。宇宙内の事は、乃ち己が分内の事、己  が分内の事は、乃ち宇宙内の事なり。東海に聖人  出づるあるも、此の心同じ、此理同じ。西海に聖  人出づるあるも、此の心同じ、此の理同じ。南海  北海に聖人出づるあるも、此の心同じ、此の理同        かみ            しも  じ。千万世の上より、千百世の下に至るまで、聖  人出づるあるも、則ち此の心同じ、此の理同じ。  どう           じ  道外に事なく、事外に道なし、道理は只だ是れ眼          でんち  けんたう  前の道理。聖人の田地に見到すと雖も、亦た只だ                 ぜんこ みはつ  是れ眼前の道理なり等の諸説は、前古未発の言な            くわいしや     えんぶん  りと雖も、既に人口に膾炙し、而て人今厭聞と為  せり。是れ言の罪にあらざるなり、人の罪なり。   し            じゆん  然かも陸子の学の純を見んと要すれば、則ち只だ              な           りやう  実理を明らかにし実事を做すと、愛敬の良を人欲   くら            ねんしゆつ         じ よ  に昏まさるる処より拈出するとに在るのみ。自余      おほむ  ちうきやく  の諸説は概ね其の註脚なるかな。   陸子曰、「古人皆是明実理、做実事、」又   曰、「人無親敬兄、及利欲   昏便不然、欲明其事、止被彼利欲昏処   指出、便愛敬自在、此是唐虞三代実学、与後   世異処在此」、謹按、陸子此二條之説、至易   至平、而如呉草廬先生所称嘆、陸子   壁立千仭之勢也、然子細玩味、則壁立千仭之   勢隠然乎其中矣、何則明実理、做実事、   雖至易至平、而愚夫婦之所知能、及其   至也、聖人亦有難焉、又其拈出愛敬之良   於利欲昏処、以喚醒愚夫婦手段、雖亦如   至易至平、然遵期道、将唐虞三代之聖   人神化、則非壁立千仭人所企及矣   耶、若只採其語気之峻逸奮迅者、以謂之壁   立千仭、則皮膚之論、而非真知陸子也、   其因書至宇宙二字、解曰、四方上下曰   宇、往古来今曰宙、忽大省曰、元来無窮、人   与天地万物、皆在無窮中者也、宇宙内事、   乃己分内事、己分内事、乃宇宙内事、東海有   聖人出焉、此心同也、此理同也、西海有聖   人出焉、此心同也、此理同也、南海北海有   聖人出焉、此心同也、此理同也、千万世之上、   至千百世之下、有聖人出焉、則此心同也、   此理同也、道外無事、事外無道、道理只是   眼前道理、雖到聖人田地、亦只是眼前   道理等之諸説、雖前古未発之言、既膾炙人   口、而人今為厭聞、是非言之罪也、人之   罪也、然要陵子之学之純、則只在於明   実理実事、与出愛敬之良於人欲昏処   而已矣、自余諸説、概其註脚也夫、



陸子。南宋の
陸象山、名は九
淵、前出。






堯舜と夏殷周。



呉草廬。元の
呉澄、字は幼清、
泰定の初、軽筵
講官たり、陸象
山の学に契す、
著書多し。草廬
先生と称す。

壁立千仭。巉
巌が千仭も突き
立つて居る、見
識の高くするど
きを形容する。


拈出。放り出
す。










皮膚の論。表
面皮相の論。

陸子書を読ん
で「宇宙」の二
字を、四方上下
云々と解せるに
遇ひ、忽ち天人
万物皆無窮にし
て、此の心此の
理万古同じ、而
かも眼前の道理
なることを大省
したり。

分内の事。当
然つとむべき本
分内の事といふ
如し。











田地。心地心
境といふ如し。


厭聞。聞きあ
きて居ること。








註脚。本文に
対する註脚にて、
重からぬ義。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その282/その284

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