すべか ●でんち だでふ
一三二 陸子曰く、「学者は須らく是れ田地を打畳
かれ ふんぱつ●
して浄潔ならしむべし。然る後他をして奮発植立
も
せしめん。若し田地浄潔ならずんば、則ち奮発植
立せしめ得ず。古人学を為す、即ち書を読みて然
る後学と為す、然れども田地浄潔ならずんば、亦
も
た書を読み得ざるを見るべし。若し書を読まば、
●あだ か たう りやう し
則ち是れ寇に兵を仮し、盗に粮を資するなり」と。
さと
又た曰く「書を読むは固より文義を暁らざるべか
さと ぜ
らず。然れども只だ文義を暁るを以て是と為すは、
じどう い し み
只だ是れ児童の学なり。須らく意旨の在る所を看
●くわうげんきつ
るべし」と。又た黄元吉に与ふる書に曰く、「道
きはま したし
は広大にして、学はこれ窮りなし。古人師を親み
きうい ●ふうし
友を求むるの心、亦た窮已あることなし。夫子の
いと
聖を以て、猶曰く学んで厭はずと。況んや常人に
きふ/\
在つて、其の師友を求むる心、豈汲汲たらざるべ
くわいしう ひつとく
けんや。然れども師友の会聚は、必得すべからず。
ごと おのれ ちしき
未だ会聚を得ざる若きあらば、則ち己の知識に随
りきりやう したし つ
ひ、己の力量に随ひ、書冊に親み、事物に就かば、
●がうはつばうぜん ほゞがうはつ
豈皆蒙然 然として、略毫髪開明の処なからんや。
そうし たつと
曾子曰く、其の聞く所を尊べば則ち高明なり、其
くわうだい あざむ
の知る所を行へば則光大なりと、人を欺かざるな
いま たと
り。今元吉縦ひ未だ聞かざる所を聞き、未だ見ざ
すで すで
る所を見る処あらざるも、且つ前日已に聞き已に
知る所のものに随つて、之を尊び之を行はば、亦
まさ ● ぜんぜいめい
た当に分に随つて日新の処あるべし。未だ全然冥
かう したし
行たるに至らざるなり。学者未だ師友に親むを得
まさ
ざる時は、要するに当に分に随つて力を用ふべし。
分に随つて力を用ひ、分に随つて考察し、汲汲と
あひばうがい
して師友を求むるの心と相妨害せざらしめば、乃
い ●へんしよう
ち善と為すなり。此の二者、一つ偏勝あらば、便
しせう
ち私小に入る、即ち是れ其の正を得ず。徒に益な
しか
きのみにあらず、而も之を害せん」と。而も一後
●ぐんしよう を
生あり、郡庠に処らんと欲す、陸子又た之に訓へ
えら き く
て曰く「一、交を択べ、二、身を規矩に随へ、三、
ぞく つが
古書論語の属を読め」と。又た曰く、「書を束ね
● こうせい
て観ざれば、游談根無し」と。又た曰く「後生経
み ちうそ せんじゆ ちやくかん
書を看る、須らく註疏及び先儒の解釈を着看すべ
おのれ けん おそ
し。然らずして己の見を執つて議論せば、恐らく
みづ ぜ ゐき けいし
は自から是とするの域に入り、便ち古人を軽視せ
ん。漢唐間の名臣の議論に至つて、之を吾が心に
はん もと ●じ かこれ しよ
反して、甚だ道に悖る処あるも、亦た自家諸を庶
みん ちよう あやま てい ま
民に徴して繆らざる底の道理あるを須つて」然る
べつはく ●しゆどうさい
後別白して之を言へ」と。又た朱道済に与ふる書
くわ じせつ
に云ふ、「書を読めば且つ文義を精しくし、事節
さと ところ いういうふうえい
を分明にし、暁り易き者は優遊諷詠して、之をし
せふかふ あひかな くうげんきよせつ
て浹洽して日用と相協はしめよ。但だ空言虚説せ
さきの ぎわく おのづ まさ くわんぜん
ずんば、則ち向者疑惑の処も、自から当に渙然氷
せうちうふ
釈すべし」と。邵中孚に与ふる書に亦た云ふ、
くんこ
「書を読みて、訓詁既に通ずるも、但だ心を平ら
つうげう
かにして之を責め。或は未だ通暁せざる処あらば、
しばら か しば せうせき
姑く之を欠ぐも害なし。且らく其の明白昭晰なる
かんえい み
ものを以て、日に涵泳を加ふれば、自然に日に充
ほんげん
ち日に明らかならん。後日本原深厚ならば、則ち
さ き さと まさ
向来の未だ暁らざるもの、将に亦た渙然氷釈せん
さうたくし
とす」と。曾宅之に与ふる書に亦た云ふ、「古書
しば まさ
を読むには、且らく当に文義分明なる処に於て誦
くわんせう さと ゆるがせ
習観省すべし。其の暁り易きが為めに忽にするこ
なか たの
と毋れ。其の已に暁れるが為めに恃むこと毋れ、
きう/\ まさ
則ち久久にして当に実得実益あるべし。疑ふべき
ところ しば いういう●えんよ ま
者に至つては、且らく当に優游厭飫以て之を俟つ
●きようたんりよくさく さと
べし、強探力索すべからず。後日文義暁り易き処
ぎわく ところ
に於て進むあらば、則ち謂はゆる疑惑暁り難き者
くわんぜん いま
も、往往渙然として自らとけん」と。今右の数條
に就いて之を観れば、則ち陸子の読書の法も亦た
● し
見るべし。其の徳性を尊ぶと云ふ、而かも何ぞ読
はい た しよさく
書を廃すること之れあらん。然れども止だ書策に
へん な
偏し、而て心の正不正を知らざるもの少しと為さ
こゝ うれ
ずと。陸子の恐るる所は此に在り、而て朱子の患
こ
ふる所も亦た此に在り。是の故に朱子は書を読み
しゆこう いづく
学を講ずるを以て首功と為すと雖も、又た安んぞ
●こさうろしゆりく
徳性を尊ぶを以て教と為さざらんや。呉草廬朱陸
べん
の学を弁じて曰く、「朱子の人を教ふるや、必ず
之に書を読み学を講ずるを先にす。陸子の人を教
しんちじつせん
ふるや、必ず真知実践せしむ。書を読み学を講ず
もと しんちじつせん
るは、固より以て真知実践の地を為す、真知実践
は、亦た必ず書を読み学を講ずるよりして入る、
ようれつ
二師の教たる一なり。而て二家庸劣の門人、各々
●へうばう あいていし
標榜を立て、互に相詆 し、今に至るまで学者猶
まど でん まど
惑へり。甚しいかな道の伝なくして、而て人人惑
さと ●はてき
ひ易く暁り難きや」と。呉子の此の弁は乃ち破的
●てうてい
の論にして、而て決して調停の謂にあらざるなり。
しゆほん
然れども陸子の意を推すに、徳性を以て主本と為
もんがく さいばいくわんがい
し、而て問学は則ち特に栽培潅漑と為すの意、亦
おほ でんちじやうけつ
た掩ふべからざるなり。一條に曰く、田地浄潔と。
あだ か たう りやう し
又た曰く、寇に兵を仮し盗に粮を資すと。二條に
曰く、只だ是れ児童の学なりと。三條に曰く師友
を求むる心、豈汲汲たらざるべけんやと。四條に
曰く、一に交を択び、二に身を規矩に随へと、此
くわん つか
れ皆読書に冠せり。然り而て五條に曰く、書を束
こん じ ご
ねて観ざれば、游談根なしと。及び爾後の四條、
経を看ると、註を看ると、古書を看るとをこれ云
むな
へり。其の未だ嘗て読書の功を空しうせざること、
こゝ
是に於て又た見るべし。然り而て人を教ふるの道
もつぱ
は、専ら朱子を主とするも亦た不可なり。専ら陸
子を主とするも亦た不可なり。只だ孔子を主とし
ぜん つく び つく
て然る後に善を尽し美を尽す。何となれば則ち人
そうめい しつぼく そう めい ご
の資質に聡明と質朴とあり。聡と明とは必ず悟よ
●しう
りして入る、質と朴とは必ず修よりして入る。故
● ご
に顔子は一を聞いて十を知る、是れ悟にあらずし
●し か とくしん
て何ぞ。子夏の篤信は、修にあらずして何ぞ。顔
ご はい
子悟より入ると雖も、而も修の功夫は、終身廃せ
あせい し か しう
ず、故に亜聖となれり。子夏は修より入ると雖も、
●しつ さと
而も室に入れば則ち必ず聖人の道を悟る、故に賢
人となれり。因つて思ふ、後の教ふる者、孔子に
のつと あやま ご
法らずんば、則ち必ず人を誤る、今悟よりして入
しう ●
る者に、必ず修して後に道に学ばしめば、則ち自
いさぎよし しう
から屑とせざるの心を生ぜん。修よりして入る者
さと
に、必ず悟つて後に道に学ばしめば、則ち亦た及
たん
ばざるの嘆を起さん、是れ人を誤るにあらずや。
へいじゆん か
然りと雖も聡明と質朴とを平準せば、則ち彼れ少
こ
くして此れ多し。然らば則ち読書一偏に流るる者
うべ をしへ まんぷ
十の七なり。宜なるかな、朱子の教天下に満布し、
●しんけん
而て陸子の教に隠見あること。然れども後の豪傑
やうめいし
節義の士は、多く陽明子の門に出づ、則ち此れ豈
よたく みんほろ しんおこ しゆつ
陸子の余沢にあらずや。且つ明滅び清興るや、出
ぐん さい とな
羣の才にして朱学を倡ふる者は、皆多く陽明子に
けいはつ ●かうを おもね
啓発せられし者なり。然れども時の好悪に阿り、
おう りく う ふう な
王を攻めて而て陸を撃ち、終に一代の風を成せり。
●りくせいけん せん ●
陸清献の如きは、其の撰なり。然れども其の太極
しう つく
論は、是れ全く良知の説を襲して以て製れるもの
●やうしゆいんおう
なり。故に之を陽朱陰王と謂ふも可なり。
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●田地打畳。農
夫が種を蒔くに、
先づ田地を打ち
ならす如く、学
者は先づ心田即
ち心胸を掃除し、
打ちならさねば
ならぬ。
●植立。植も建
つ義。
●寇に云々。寇
賊に兵器を仮せ
る如く、読書が
悪人の資料(た
すけ)になる。
●黄元吉。陸子
の弟子、陸子の
全集に見ゆ。
●夫子云々。夫
子は孔子、其語
論語述而篇に見
ゆ。
●蒙然 然。蒙
も もくらし。
●此の処。通行
本の原文に、」莫
未 至 全然為
冥行 也」とあり、
莫の字ありては
意義をなさず。
故に創る。
●偏勝云々。一
方が偏し勝つと、
私意狭小に落ち
込む。
●郡庠。郡の学
校。
●游談根無し。
たはけた、つま
らぬ談しとなり、
経義史書の根拠
なし。
●中庸に「君子
の道これを庶民
に徴し(中略)
百世以て聖人を
俟つて惑はず」
とあり。
●朱道済。陸子
の弟子、陸子全
集に見ゆ。以下
邵、曾皆同じ。
●厭飫。 き飽
く、十分の意。
●強探力索。無
理に探り、やみ
くもに索める。
●中庸に「徳性
を尊び。問学に
道る」とあり、
陸子の学は徳性
を尊ぶことを主
とすと曰はる。
●呉草廬。元の
呉澄、前出。
●標榜。標も
榜も、たてふだな
り、今の看板
(くわんばん)
の如し、門戸を
標榜すとの言あ
り。
●破的。射つて
的を打ち破る、
的中に同じ。
●調停。折合ひ
妥協。
●修。修学研究
のこと、頓悟に
対す。
●論語公冶長篇
に出づ。
●孟子浩然気章
の註に、朱子曰
く、「子夏篤く
聖人を信ず。」
●論語先進篇に
子路を評せる孔
子の言に「由や
堂に升る、未だ
室に入らず」と
あり。此の処、
子路が学問の奥
に達するをいふ。
●自ら云々。満
足せぬ心生ず。
●隠見。隠は行
はれぬ、見は行
はる。
●当時の朝廷が
陸子王子の学を
忌めるに媚びへ
つらふ。
●陸清献。陸朧
其、字は稼書、
前出。其の撰と
は、首位の意.
●太極論。陸稼
書の三魚堂文集
に出づ。
●陽朱陰王。お
もては朱子学、
かげは王陽明の
学、此の語我国
にて幕末に佐藤
一斎を評せり。
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