山田準『洗心洞箚記』(本文)284 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.1.28/1.29最新

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『洗心洞箚記』 (本文)

その284

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

             すべか    でんち  だでふ 一三二 陸子曰く、「学者は須らく是れ田地を打畳                かれ     ふんぱつ  して浄潔ならしむべし。然る後他をして奮発植立         せしめん。若し田地浄潔ならずんば、則ち奮発植  立せしめ得ず。古人学を為す、即ち書を読みて然  る後学と為す、然れども田地浄潔ならずんば、亦                  た書を読み得ざるを見るべし。若し書を読まば、      あだ      か    たう りやう  し  則ち是れ寇に兵を仮し、盗に粮を資するなり」と。                  さと  又た曰く「書を読むは固より文義を暁らざるべか              さと       ぜ  らず。然れども只だ文義を暁るを以て是と為すは、       じどう         い し          み  只だ是れ児童の学なり。須らく意旨の在る所を看         くわうげんきつ  るべし」と。又た黄元吉に与ふる書に曰く、「道             きはま        したし  は広大にして、学はこれ窮りなし。古人師を親み            きうい       ふうし  友を求むるの心、亦た窮已あることなし。夫子の             いと  聖を以て、猶曰く学んで厭はずと。況んや常人に                 きふ/\  在つて、其の師友を求むる心、豈汲汲たらざるべ             くわいしう   ひつとく  けんや。然れども師友の会聚は、必得すべからず。          ごと            おのれ ちしき  未だ会聚を得ざる若きあらば、則ち己の知識に随      りきりやう           したし         つ  ひ、己の力量に随ひ、書冊に親み、事物に就かば、    がうはつばうぜん      ほゞがうはつ  豈皆蒙然然として、略毫髪開明の処なからんや。  そうし         たつと  曾子曰く、其の聞く所を尊べば則ち高明なり、其           くわうだい          あざむ  の知る所を行へば則光大なりと、人を欺かざるな    いま    たと  り。今元吉縦ひ未だ聞かざる所を聞き、未だ見ざ                  すで     すで  る所を見る処あらざるも、且つ前日已に聞き已に  知る所のものに随つて、之を尊び之を行はば、亦   まさ                 ぜんぜいめい  た当に分に随つて日新の処あるべし。未だ全然冥  かう                 したし  行たるに至らざるなり。学者未だ師友に親むを得           まさ  ざる時は、要するに当に分に随つて力を用ふべし。  分に随つて力を用ひ、分に随つて考察し、汲汲と             あひばうがい  して師友を求むるの心と相妨害せざらしめば、乃                へんしよう  ち善と為すなり。此の二者、一つ偏勝あらば、便    しせう  ち私小に入る、即ち是れ其の正を得ず。徒に益な                    しか  きのみにあらず、而も之を害せん」と。而も一後      ぐんしよう を  生あり、郡庠に処らんと欲す、陸子又た之に訓へ          えら           き く  て曰く「一、交を択べ、二、身を規矩に随へ、三、       ぞく              つが  古書論語の属を読め」と。又た曰く、「書を束ね                     こうせい  て観ざれば、游談根無し」と。又た曰く「後生経     み         ちうそ    せんじゆ       ちやくかん  書を看る、須らく註疏及び先儒の解釈を着看すべ         おのれ けん         おそ  し。然らずして己の見を執つて議論せば、恐らく   みづ    ぜ       ゐき         けいし  は自から是とするの域に入り、便ち古人を軽視せ  ん。漢唐間の名臣の議論に至つて、之を吾が心に  はん            もと        じ かこれ  しよ  反して、甚だ道に悖る処あるも、亦た自家諸を庶  みん ちよう   あやま     てい           ま  民に徴して繆らざる底の道理あるを須つて」然る   べつはく          しゆどうさい  後別白して之を言へ」と。又た朱道済に与ふる書                 くわ        じせつ  に云ふ、「書を読めば且つ文義を精しくし、事節        さと     ところ いういうふうえい  を分明にし、暁り易き者は優遊諷詠して、之をし   せふかふ         あひかな       くうげんきよせつ  て浹洽して日用と相協はしめよ。但だ空言虚説せ        さきの ぎわく       おのづ   まさ  くわんぜん  ずんば、則ち向者疑惑の処も、自から当に渙然氷         せうちうふ  釈すべし」と。邵中孚に与ふる書に亦た云ふ、         くんこ  「書を読みて、訓詁既に通ずるも、但だ心を平ら               つうげう  かにして之を責め。或は未だ通暁せざる処あらば、 しばら     か           しば           せうせき  姑く之を欠ぐも害なし。且らく其の明白昭晰なる          かんえい             ものを以て、日に涵泳を加ふれば、自然に日に充              ほんげん  ち日に明らかならん。後日本原深厚ならば、則ち   さ き      さと           まさ  向来の未だ暁らざるもの、将に亦た渙然氷釈せん       さうたくし  とす」と。曾宅之に与ふる書に亦た云ふ、「古書        しば   まさ  を読むには、且らく当に文義分明なる処に於て誦   くわんせう         さと       ゆるがせ  習観省すべし。其の暁り易きが為めに忽にするこ   なか             たの  と毋れ。其の已に暁れるが為めに恃むこと毋れ、    きう/\     まさ  則ち久久にして当に実得実益あるべし。疑ふべき ところ           しば       いういうえんよ       ま  者に至つては、且らく当に優游厭飫以て之を俟つ    きようたんりよくさく         さと  べし、強探力索すべからず。後日文義暁り易き処                  ぎわく       ところ  に於て進むあらば、則ち謂はゆる疑惑暁り難き者      くわんぜん           いま  も、往往渙然として自らとけん」と。今右の数條  に就いて之を観れば、則ち陸子の読書の法も亦た                   見るべし。其の徳性を尊ぶと云ふ、而かも何ぞ読    はい              た   しよさく  書を廃すること之れあらん。然れども止だ書策に  へん                     偏し、而て心の正不正を知らざるもの少しと為さ             こゝ         うれ  ずと。陸子の恐るる所は此に在り、而て朱子の患               ふる所も亦た此に在り。是の故に朱子は書を読み          しゆこう         いづく  学を講ずるを以て首功と為すと雖も、又た安んぞ                   こさうろしゆりく  徳性を尊ぶを以て教と為さざらんや。呉草廬朱陸     べん  の学を弁じて曰く、「朱子の人を教ふるや、必ず  之に書を読み学を講ずるを先にす。陸子の人を教        しんちじつせん  ふるや、必ず真知実践せしむ。書を読み学を講ず     もと       しんちじつせん  るは、固より以て真知実践の地を為す、真知実践  は、亦た必ず書を読み学を講ずるよりして入る、                ようれつ  二師の教たる一なり。而て二家庸劣の門人、各々  へうばう      あいていし  標榜を立て、互に相詆し、今に至るまで学者猶  まど          でん         まど  惑へり。甚しいかな道の伝なくして、而て人人惑     さと                はてき  ひ易く暁り難きや」と。呉子の此の弁は乃ち破的             てうてい  の論にして、而て決して調停の謂にあらざるなり。                    しゆほん  然れども陸子の意を推すに、徳性を以て主本と為      もんがく         さいばいくわんがい  し、而て問学は則ち特に栽培潅漑と為すの意、亦   おほ               でんちじやうけつ  た掩ふべからざるなり。一條に曰く、田地浄潔と。       あだ      か  たう  りやう  し  又た曰く、寇に兵を仮し盗に粮を資すと。二條に  曰く、只だ是れ児童の学なりと。三條に曰く師友  を求むる心、豈汲汲たらざるべけんやと。四條に  曰く、一に交を択び、二に身を規矩に随へと、此       くわん               つか  れ皆読書に冠せり。然り而て五條に曰く、書を束           こん           じ ご  ねて観ざれば、游談根なしと。及び爾後の四條、  経を看ると、註を看ると、古書を看るとをこれ云                むな  へり。其の未だ嘗て読書の功を空しうせざること、  こゝ  是に於て又た見るべし。然り而て人を教ふるの道    もつぱ  は、専ら朱子を主とするも亦た不可なり。専ら陸  子を主とするも亦た不可なり。只だ孔子を主とし       ぜん  つく  び  つく  て然る後に善を尽し美を尽す。何となれば則ち人      そうめい しつぼく       そう  めい       ご  の資質に聡明と質朴とあり。聡と明とは必ず悟よ               しう  りして入る、質と朴とは必ず修よりして入る。故                   に顔子は一を聞いて十を知る、是れ悟にあらずし      し か  とくしん  て何ぞ。子夏の篤信は、修にあらずして何ぞ。顔                     はい  子悟より入ると雖も、而も修の功夫は、終身廃せ       あせい          し か   しう  ず、故に亜聖となれり。子夏は修より入ると雖も、    しつ             さと  而も室に入れば則ち必ず聖人の道を悟る、故に賢  人となれり。因つて思ふ、後の教ふる者、孔子に のつと           あやま     ご  法らずんば、則ち必ず人を誤る、今悟よりして入        しう                る者に、必ず修して後に道に学ばしめば、則ち自    いさぎよし          しう  から屑とせざるの心を生ぜん。修よりして入る者      さと  に、必ず悟つて後に道に学ばしめば、則ち亦た及      たん  ばざるの嘆を起さん、是れ人を誤るにあらずや。              へいじゆん        か  然りと雖も聡明と質朴とを平準せば、則ち彼れ少       くして此れ多し。然らば則ち読書一偏に流るる者        うべ              をしへ     まんぷ  十の七なり。宜なるかな、朱子の教天下に満布し、         しんけん  而て陸子の教に隠見あること。然れども後の豪傑          やうめいし  節義の士は、多く陽明子の門に出づ、則ち此れ豈      よたく        みんほろ しんおこ     しゆつ  陸子の余沢にあらずや。且つ明滅び清興るや、出  ぐん さい      とな  羣の才にして朱学を倡ふる者は、皆多く陽明子に  けいはつ             かうを  おもね  啓発せられし者なり。然れども時の好悪に阿り、  おう      りく  う             ふう  な  王を攻めて而て陸を撃ち、終に一代の風を成せり。 りくせいけん            せん           陸清献の如きは、其の撰なり。然れども其の太極              しう       つく  論は、是れ全く良知の説を襲して以て製れるもの         やうしゆいんおう  なり。故に之を陽朱陰王と謂ふも可なり。

田地打畳。農
夫が種を蒔くに、
先づ田地を打ち
ならす如く、学
者は先づ心田即
ち心胸を掃除し、
打ちならさねば
ならぬ。

植立。植も建
つ義。


寇に云々。寇
賊に兵器を仮せ
る如く、読書が
悪人の資料(た
すけ)になる。




黄元吉。陸子
の弟子、陸子の
全集に見ゆ。


夫子云々。夫
子は孔子、其語
論語述而篇に見
ゆ。









蒙然然。蒙
ももくらし。










此の処。通行
本の原文に、」莫
全然為
冥行也」とあり、
莫の字ありては
意義をなさず。
故に創る。





偏勝云々。一
方が偏し勝つと、
私意狭小に落ち
込む。


郡庠。郡の学
校。



游談根無し。
たはけた、つま
らぬ談しとなり、
経義史書の根拠
なし。





中庸に「君子
の道これを庶民
に徴し(中略)
百世以て聖人を
俟つて惑はず」
とあり。

朱道済。陸子
の弟子、陸子全
集に見ゆ。以下
邵、曾皆同じ。






























厭飫。き飽
く、十分の意。

強探力索。無
理に探り、やみ
くもに索める。





中庸に「徳性
を尊び。問学に
道る」とあり、
陸子の学は徳性
を尊ぶことを主
とすと曰はる。








呉草廬。元の
呉澄、前出標榜。標も
榜も、たてふだな
り、今の看板
(くわんばん)
の如し、門戸を
標榜すとの言あ
り。

破的。射つて
的を打ち破る、
的中に同じ。

調停。折合ひ
妥協。






























修。修学研究
のこと、頓悟に
対す。

論語公冶長篇
に出づ。

孟子浩然気章
の註に、朱子曰
く、「子夏篤く
聖人を信ず。」

論語先進篇に
子路を評せる孔
子の言に「由や
堂に升る、未だ
室に入らず」と
あり。此の処、
子路が学問の奥
に達するをいふ。

自ら云々。満
足せぬ心生ず。








隠見。隠は行
はれぬ、見は行
はる。



当時の朝廷が
陸子王子の学を
忌めるに媚びへ
つらふ。
陸清献。陸朧
其、字は稼書、
前出。其の撰と
は、首位の意.
太極論。陸稼
書の三魚堂文集
に出づ。
陽朱陰王。お
もては朱子学、
かげは王陽明の
学、此の語我国
にて幕末に佐藤
一斎を評せり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その283/その285

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