山田準『洗心洞箚記』(本文)287 Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.2.6

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『洗心洞箚記』 (本文)

その287

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

         ごろく       一三四 陽明先生語録に曰く、「或異端を問ふ。先        生曰く、愚夫愚婦と同じ、是れを同徳と謂ひ、愚      こと  夫愚婦と異なる、是れを異端と謂ふ」と。謹んで               かうめう  按ずるに、世先生の学を以て高妙と為し、故に之   ぜん  を禅と謂ふ、甚だ誤れり。能く此の語を観て、以              しせん しきん  て其の道を学ばば、則ち至浅至近にして、而て何  の高妙と禅とこれあらん。謂はゆる愚夫婦と同じ              おや         けい  とは何ぞ、是れ其の夜気と親を愛し兄を敬し、善               を知り悪を知るの良心に就きて言ふなり。其の良           ぱん     心は、即ち赤子と一般なり。赤子の心は乃ち聖人                    か   きしふ  の心なり、聖人は特に拡充せるのみ。夫の気習物    いう  欲に囿せられて、而て拡充する能はざる者の如き  は、是れ乃ち愚夫婦の愚夫婦に終る所以なり。然                    はくい   う  かも良心は愚夫帰皆有するを以て、故に伯夷の餓                  たうせき おご  うるを聴けば、則ち心に皆之を是とし、盗跖の侈           くち  れるを聴けば、則ち口尽く之を非とす。故に同じ  きものは、只だ是れ此の良心のみ。良心とは良知                    いたん  なり。故に良知を外にして学ばば則ち異端なり。             こ      か  聖人復た起るも、必ず斯の言を易へじ。   陽明先生語録曰、「或問異端先生曰、与愚   夫農婦同的、是謂同徳愚夫愚婦異的、   是謂異端、」護按、世以先生学高妙、   故謂之禅甚誤也、能観此語以学其道、則   至浅至近、而何高妙之与禅之有、所謂与愚   夫婦同的何、是就其夜気愛親敬兄知善知   悪之良心言也、其良心、即与赤子一般、赤   子 之心、乃聖人之心也、聖人特拡充焉耳、若   夫囿於気習物欲而不拡充、是乃愚夫   婦之所以終乎愚夫婦也、然良知以愚夫婦皆   有、故聴伯夷之儀、則心皆是之、聴盗跖   之侈、則口尽非之、故同的者、只是此良心而   已矣、良心者、良知也、故外良知学則異端矣、   聖人復起不必易斯言矣、


異端。論語為
政篇に「異端を
攻(治)むるは
斯れ害のみ」と
あり、朱子註し
て「聖人の道に
非ず、別に一端
を為す、楊墨の
如き是れなり」
と。


夜気。其説孟
子告子上篇に出
づ。吾人が夜間
養ひ得た無垢の
平旦の気をいふ。
親を愛し云々は
孟子の尽心上篇
に見ゆ、孩提の
童も其親を愛せ
ざるなし云々に
よる。

赤子の心。孟
子離婁下篇に
「大人は其の赤
子の心な失はざ
る者なり」とあ
り。

囿。取り込め
束縛せらる。

論語季氏篇に、
「伯夷・叔斎首
陽の下に餓ゆ」
とあり。

盗跖。周の大
盗、荘子・史記
等に見ゆ。


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