山田準『洗心洞箚記』(本文)30 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.6

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その30

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

     いひつこ が 四一 心に意必固我あれば則ち虚にあらず。虚にあら   ずして、四書五経を見れば、則ち一も行ふべから   ざるものなり。心に意必固我なければ則ち虚に帰   す、虚に帰して見れば、則ち一も行ふべきものな   り。是の故に心は虚を貴ぶなり。    心有意必固我則非虚、非虚而見四書五経、    則一不行焉者也、心無意必固我則帰乎    虚、帰乎虚而見、則一可行焉者也、是故心    貴虚也、                    四二 強ひて善を為す者は猶これあり、自然に善を為   す者は絶えてなし。而て自然に善を為す者にあら          むす   ざれば、真交を締び難し。事変を経て後吾が言の      誣にあらざるを知らん。    強為善者猶有之、自然為善者絶無、而非自    然為善者、難真交矣、経事変而後知吾    言之非誣也、



意必固我。論
語子罕篇に「子、
四つを絶つ、意
なし、必なし、
固なし、我なし」
とあり、胸に執
着なきなり。
















勉めずして、
中心より為す。



誣。しひて、
こじつける。 


『洗心洞箚記』(本文)目次/その29/その31

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ