山田準『洗心洞箚記』(本文)34 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.22

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『洗心洞箚記』 (本文)

その34

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    人       やゝ 四七 或曰く、子動もすれば心太虚に帰するを以て言          を為す。張子正蒙より来るや否や。曰く、吾が太   虚の説は、良知を致すより来り、而て正蒙より来             のが   らず。然れども正蒙を迯るる能はず。学徒もし吾   が正蒙を迯るる能はずと曰へるを信じ、只だ正蒙                        を読み太虚の説を知らば、則ち亦た特に其の言語   を解し得たるのみ、而て必ず太虚に帰する能はざ                  これ  いた   るなり。故に良知を致すは、それ焉に臻るの道か。    或曰、子動以心帰乎太虚言、自張子正蒙    来否、曰、吾太虚之説、自良知来、而不    自正蒙矣、然不於正蒙、学徒如信    吾曰於正蒙、只読正蒙太虚之説、    則亦特解得其言語而已、而必不乎太虚    也、故致良知、其臻焉之道乎、





張子。名は載、
字は子厚、横渠
先生といふ、関
中の人、宋の五
先生の一、正蒙
は其の著、盛に
太虚を説く。

其の言語云々。
正蒙に「太虚に
して形無きは気
の本体」などと
あり、中斎先生
は其の説の無に
偏するを恐れた
るか。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その33/その35

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