じゆくすい
四九 吾れ以て常人熟睡する時は反て生き、而て明覚
の時は反て死すと為す。何となれば、熟睡する時
は身死する如しと雖も、然れども心に一念なし。
心に一念なければ、則ち心徳全し、吾れ故に以て
反て生くると為す。而て明覚の時は身固より生活
す、而て心に雑念を起す。心に雑念を起せば、則
ち心徳亡ぶ、吾れ故に以て反て死すと為す。因て
思ふ、人学んで而て覚むる時に、睡むる時一念な
● ていせい
きが如きの地に到らざれば、則ち豈大学の定静と
●
云はんや、豈周子の無極にして太極と云はんや。
吾以為 常人熟睡時反生、而明覚時反死 矣、何
者、熟睡時身雖 如 死、然心無 一念 矣、心無
一念 則心徳全焉、吾故以為 反生 、而明覚時
身固生活、而心起 雑念 矣、心起 雑念 則心徳
亡焉、吾故以為 反死 、因思人学而不 到 覚時
如 睡時無 一念之地 、則豈大学之定静云乎哉、
豈周子之無極而太極云乎哉、
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●大学の定静。
大学の首章に
「止りを知つて
而て後能く定ま
る、定まつて而
て後能く静な
り」とあり。
●周子云々。周
子名は敦 、字
は茂叔、濂渓と
号す、宋の道学
の祖、太極図説
を著はす、無極
云々は其の首語、
近思録首巻にも
見ゆ。太極とは
天地の道、無極
とは声も形もな
き義。 |