山田準『洗心洞箚記』(本文)40 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その40

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

五三 大学の致知を以て、良知を致すと為す者は、陽                  しんぱつらいくわう  明先生より始らず、特に先生に因り震発雷轟せるな      り。程子曰く、知は吾れの固有する所なり、然れど  も致さずんば則ち之を得る能はずと。これ豈良知を                 致すを謂ふにあらざらんや。呂東莱先生曰く、致知  格物は、修身の本なり。知は良知なり、堯舜と同じ  き者なり。理既に窮れば、則ち知自ら至り、堯舜と          あら             しる  同じき者忽然自ら見はる。黙して之を識せと。これ   あきら                   豈顕かに良知を致すを謂ふにあらざらんや。胡敬斎               ひん  先生曰く、心本と知あり、気稟物欲其の良知を昏蔽                        あきら  するに因る、故に須らく知を致すべしと。これ豈顕  かに良知を致すを謂ふにあらざらんや。而て朱子曰  く、明徳とは本と此の明徳あるを謂ふなり。孩提の  童も、其の親を愛するを知らざるはなし。其の長ず  るに及んでは、其の兄を敬するを知らざるはなし。  其の良知良能は、本と自らこれ有り。只私欲の為に  蔽はる、故に暗くして明らかならず。謂はゆる明徳  を明らかにするとは之を明らかにする所以を求むる  なりと。其の之を明らかにする所以とは、良知を致  すにあらずして何ぞ。故に朱子も亦た良知を致すを  謂ふなり。吾れ故に曰く、陽明先生より始らず、特        しんぱつらいくわう                  みだり  に先生に因て震発雷轟せるなりと。然れども世儒謾              そし  に先生の良知を致すの説を誹る。則ち但だに先生を                    誹るのみにあらず。併せて程朱及び呂胡の諸大儒を       ころう  誹るなり。瞽聾の罪大なるはなし。   以大学之致知良知者、不陽明先生   始、特因先生震発雷轟也、程子曰、知者、吾之   所固有、然不致則不之、此豈非   良知乎、呂東莱先生曰、致知格物、修身之本也、   知者、良知也、与堯舜同者也、理既窮、則知自   至、与堯舜同者忽然自見、黙而識之、此豈非   顕謂良知乎、胡敬斎先生曰、心本有知、因   気稟物欲昏蔽其良知、故須知、此豈非顕謂   致良知乎、而朱子曰、明徳謂本有此明徳也、   孩提之童、無其親、及其長也、無   知其兄、其良知良能、本自有之、只為私欲   所蔽、故暗而不明、所謂明明徳者、求以明   之也、其所以明之者、非良知而何、故朱子   亦謂良知也、吾故曰、不陽明先生、特   因先生震発雷轟也、然世儒謾誹先生致良知之   説、則非但誹先生而已、併誹程朱及呂胡諸大   儒也、瞽聾之罪莫大焉、




震発雷轟。盛
に名高くなる。

程子。宋の学
者、名は頤、字
は正叔、伊川先
生といふ。兄
と二程と称す。

呂東莱、宋の
学者、名は祖謙、
字は伯恭、東莱
先生といふ、朱
子の学友。

胡敬斎。明初
の朱子学者、名
は居仁。




























呂胡。呂東莱
胡敬斎を云ふ、
前文に出づ。

瞽聾。めくら
とつんぼ


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