五三 大学の致知を以て、良知を致すと為す者は、陽
●しんぱつらいくわう
明先生より始らず、特に先生に因り震発雷轟せるな
●
り。程子曰く、知は吾れの固有する所なり、然れど
も致さずんば則ち之を得る能はずと。これ豈良知を
●
致すを謂ふにあらざらんや。呂東莱先生曰く、致知
格物は、修身の本なり。知は良知なり、堯舜と同じ
き者なり。理既に窮れば、則ち知自ら至り、堯舜と
あら しる
同じき者忽然自ら見はる。黙して之を識せと。これ
あきら ●
豈顕かに良知を致すを謂ふにあらざらんや。胡敬斎
ひん
先生曰く、心本と知あり、気稟物欲其の良知を昏蔽
あきら
するに因る、故に須らく知を致すべしと。これ豈顕
かに良知を致すを謂ふにあらざらんや。而て朱子曰
く、明徳とは本と此の明徳あるを謂ふなり。孩提の
童も、其の親を愛するを知らざるはなし。其の長ず
るに及んでは、其の兄を敬するを知らざるはなし。
其の良知良能は、本と自らこれ有り。只私欲の為に
蔽はる、故に暗くして明らかならず。謂はゆる明徳
を明らかにするとは之を明らかにする所以を求むる
なりと。其の之を明らかにする所以とは、良知を致
すにあらずして何ぞ。故に朱子も亦た良知を致すを
謂ふなり。吾れ故に曰く、陽明先生より始らず、特
しんぱつらいくわう みだり
に先生に因て震発雷轟せるなりと。然れども世儒謾
そし
に先生の良知を致すの説を誹る。則ち但だに先生を
●
誹るのみにあらず。併せて程朱及び呂胡の諸大儒を
●ころう
誹るなり。瞽聾の罪大なるはなし。
以大学之致知為致良知者、不自陽明先生
始、特因先生震発雷轟也、程子曰、知者、吾之
所固有、然不致則不能得之、此豈非謂致
良知乎、呂東莱先生曰、致知格物、修身之本也、
知者、良知也、与堯舜同者也、理既窮、則知自
至、与堯舜同者忽然自見、黙而識之、此豈非
顕謂致良知乎、胡敬斎先生曰、心本有知、因
気稟物欲昏蔽其良知、故須致知、此豈非顕謂
致良知乎、而朱子曰、明徳謂本有此明徳也、
孩提之童、無不知愛其親、及其長也、無不
知敬其兄、其良知良能、本自有之、只為私欲
所蔽、故暗而不明、所謂明明徳者、求所以明
之也、其所以明之者、非致良知而何、故朱子
亦謂致良知也、吾故曰、不自陽明先生始、特
因先生震発雷轟也、然世儒謾誹先生致良知之
説、則非但誹先生而已、併誹程朱及呂胡諸大
儒也、瞽聾之罪莫大焉、
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●震発雷轟。盛
に名高くなる。
●程子。宋の学
者、名は頤、字
は正叔、伊川先
生といふ。兄
と二程と称す。
●呂東莱、宋の
学者、名は祖謙、
字は伯恭、東莱
先生といふ、朱
子の学友。
●胡敬斎。明初
の朱子学者、名
は居仁。
●呂胡。呂東莱
胡敬斎を云ふ、
前文に出づ。
●瞽聾。めくら
とつんぼ
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