山田準『洗心洞箚記』(本文)45 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.12

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『洗心洞箚記』 (本文)

その45

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    六〇 呂新吾先生曰く、利を見ては前を向ひ、害を見  ては後に退く、同功には美を己に専らにし、同過に        ゐ            かうたい  は罪を人に委す、これ小人の恒態にして、而て丈夫    ちこう              だ   むちう  の恥行なりと。吾れ常に之を誦して惰心を鞭つ。利     あへ  すゝ  を見て肯て前まず、害を見て肯て退かず、同功は則  ち之を人に帰し、同過は則ち之を己に受く、惟だ是  れ勉めて以て之を行ふ、猶彼れに類せんを恐る。况   いう    ど  や悠悠虚度する者、未だ必ずしもよく之を免るる能  はざるなり。   呂新吾先生曰、見利向前、見害退後、同功専   美於己、同過委罪於人、此小人之恒態、而丈夫   之恥行也、吾常誦之鞭惰心、見利不肯前、見   害不肯退、同功則帰之乎人、同過則受之乎己、   惟是勉以行之、猶恐於彼、況悠悠虚度者、未   必能之也、



呂新吾。明の
学者、名は坤、
新吾と号す、呻
吟語を著はす。










悠悠虚度。ぷ
ら\/と月日を
むだに過す。


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