山田準『洗心洞箚記』(本文)46 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.13

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『洗心洞箚記』 (本文)

その46

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                    かう 六一 訟を聴く吾れ猶人のごとしとは周官司寇云ふ所           ごくしよう  の五声なり。之を以て獄訟を聴き、民情を求むるは、                     まこと  聖人官吏の才能ある者と異なるなし。而て情無き者       つく  は其の辞を尽すを得ず、大いに民の志を畏れしむと           かざ  は、民の不仁なる者飾るに仁を以てし、不敬なる者  飾るに敬を以てし、不孝なる者飾るに孝を以てし、  不慈なる者飾るに慈を以てし、不信なる者飾るに信  を以てす、其の余の不善なる者も、各々飾るに善を               以てす、而て民の仁者は誣ふるに不仁を以てし、敬                    者は誣ふるに不敬を以てし、孝者は誣ふるに不孝を  以てし、慈者は誣ふるに不慈を以てし、信者は誣ふ  るに不信を以てす、其余の善なる者も皆誣ふるに不            しようたん  善を以てす、これ即ち訟端の由つて起る所なり。故  に聖君は意を誠にし、以て仁敬孝慈信の徳を明らか                  にして民に臨む、譬へば明鏡を懸けて物の来るに応         けんち       のが  ずる如し。物の妍安んぞ其の照を迯れんや。故に        かん               きよたん  民先づ其心に咸し、訟へて以て其の虚誕の辞を尽す  を得ず、大いに其の心志を畏れしめ、而て恥ありて       ぐぜい  且つ格し、虞の文王に訟ふるこれ其の証なり。而  て此の如きに至れば、則ち不仁者は改まつて仁と為  り、不敬者は改まつて敬と為り、不孝不慈者は改ま  つて孝慈と為り、不信者は改まつて信と為る。而て  仁者は之を誣ひず、敬者は之を誣ひず、孝慈者は之  を誣ひず、信者は之を誣ひず、而て仁化下に興る。  これ豈聖君誠意の效にあらざらんや、決して官吏の                 せいちへい  及ぶ所にあらざるなり。是の故に斉治平と雖も、皆  誠意を以て本と為す。故に大学に上文数節を結び、  かさ  重ねて曰く、これ本知ると謂ふと、其の旨深いかな。      しやく     せきせん    ばく  而て本末を釈すと謂ふ、昔賢既に之を駁せり。其の     言是なり。   聴訟吾猶人也者、周官司寇所云、五声、以之   聴獄訟、求民情、聖人与官吏之有才能   異矣、而無情者、不其辞、大畏民志者、   民之不仁者飾以仁、不敬着飾以敬、不孝者飾以   孝、不慈者飾以慈、不信者飾以信、其余不善也   者、各飾以善、而民之仁者誣以不仁、敬者誣以   不敬、孝者誣以不孝、慈者誣以不慈、信者誣   以不信、其余善也者、皆誣以不善、此即訟端   之所由起也、故聖君誠意、以明仁敬孝慈信之   徳而臨民焉、譬如明鏡物来、物研安   迯其照、故民先咸其心、不訟以尽其虚誕   之辞、令大畏其心志、而有恥且格、虞之訟   於文王、是其証也、而至此則不仁者改為仁、   不敬者改為敬、不孝不慈者改為孝慈、不信者   改為信、而仁者不之、敬者不之、孝慈者   不之、信者不之、而仁化興於下、此豈   非聖君誠意之效乎、決非官吏所及也、是故雖   斉治平、皆以誠意本、故大学結上文数節、   重曰此謂本、其旨探矣哉、而謂本末、昔   賢既駁之、其言是也、


論語及び大学
に見ゆ。

五声。周礼秋
官小司寇の職に
五声を以て獄訟
を聴く、一に曰
く色聴、二に曰
く辞聴、三に曰
く気聴、四に曰
く耳聴、五に曰
く目聴とあり。



















。美と醜。

迯。逃に同じ。





。二国田
を争うて文王に
訟へ、周の美風
に感じて取止め
しこと、史記に
見ゆ。







斉治平。家を
斉へ、国を治め、
天下を平かにす
る。



本末を釈。此
は朱子が改訂せ
る大学を指す、
本書は古本大学
に拠る。


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