● いつ
六二 孟子謂はゆる志壱なれば則ち気を動かし、気壱
か つま はし
なれば則ち志を動かす。今夫の蹶づく者、趨る者、
●しようざん
是れ気なり、而も反つて其の心を動かすと。象山先
生之を説いて曰く、志壱なれば気を動かすは、これ
論ずるを待たず。独り気壱なれば志を動かすは、未
けつすう
だ人をして疑ひなからしむる能はず。孟子また蹶趨
心を動かすを以て之を明らかにす、即ち以て疑なか
せん すゐ た
るべし。壱とは専一なり。志固より気の帥為り、然
れども気の専一に至つては、則ち亦たよく志を動か
じ
すなり。故に但だ其の志を持すと言ふのみならず、
そこな
又た之を戒むるに其の気を暴ふなかれを以てす。居
せつせん べん
処飲食、節宣の宜しきに適し、視聴言動、邪正の弁
●
を厳にす、皆其の気を暴ふなきの工なりと。吾れ謂
●けふじ ● おちい
ふ学人に在つて志気夾持の工夫なき者は玄虚に陥ら
●しり
ざれば、則ち必ず支離す。故に功を用ふる当に此の
如くなるべし。然れども成徳の君子は、則ち気一に
志に聴くのみ。又た安んぞ気の志を動かすことあら
つまづ
ん。何となれば則ち蹶く者は、心在らざるを以ての
さうしつ
故なり。恭敬の人の如きは則ち決して此の躁失なし、
はし
况や成徳の君子をや。趨るも亦た常人に在つては則
ち気其の事を為す、故に亦た志を動かす。然れども
ちてい
大人君子は千軍万馬の中に在つて、馳騁出入す、こ
れ皆趨るなり。而て理に本づき、志に発し、以て其
つか
の気を使ふ、故に気の志を動かすことなし、居処飲
せつせん かな
食、視聴言動、皆心其の節宣の宜しきに適ひ、其の
●ぐていせいいつ
邪正の弁を厳にす、即ちこれ虞廷精一の学なり。
孟子所 謂志壱則動 気、気壱則動 志也、今夫蹶者
趨者、是気也、而反動 其心 、象山先生説 之曰、
志壱動 気、此不 待 論、独気壱動 志、未 能 使
人無 疑、孟子復以 蹶趨動 心明 之、即可 以無
疑矣、壱者、専一也、志固為 気之帥 、然至 於気
之専一 、則亦能動 志也、故不 但言 持 其志 、又
戒 之以 無 暴 其気 也、居処飲食、適 節宣之宜 、
視聴言動、巌 邪正之弁 、皆無 暴 其気 之工也、
吾謂在 学人 無 志気夾持之工夫 者、不 陥 玄虚 、
則必支離矣、故用 功当 如 此、然成徳君子則気一
聴 志而已、又安気動 志之有、何則蹶者、以 心不
在焉故也、如 恭敬人 則決無 此躁失 、况成徳君子
乎、趨亦在 常人 則気為 其事 、故亦動 志、然大
人君子在 千軍万馬中 、馳騁出入、此皆趨也、而
本 於理 、発 於志 、以使 其気 、故無 気動 志矣、
居処飲食、視聴言動、皆心適 其節宣之宜 、巌 其
邪正之弁 、即是虞廷精一之学也、
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●公孫丑上篇養
気章。
●象山。陸象山、
名は九淵、字は
子静、金渓の象
山に居る、朱子
と論学し、朱陸
の称あり。
●工。工夫手段.
●夾持。志と気
との両方から持
守す。
●玄虚。老荘の
空漠。
●支離。離れて
統一せぬこと。
●虞廷精一。虞
舜の朝廷で禹に
授けて「人心惟
れ危く、道心惟
れ微なり、惟れ
精、惟れ一、允
に厥の中を執
れ。」と曰ふ、
書経大禹謨に見
ゆ。
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