山田準『洗心洞箚記』(本文)5 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.1.22

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『洗心洞箚記』 (本文)

その5

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

  はつふ                    きしやう  身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の          おも   始なりと。吾れ惟ふ心の徳、之を天に受く、敢て                えう   其の徳を毀傷せざるは、孝の要なり。    身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也、    吾惟心之徳、受之於天、不敢毀傷其徳、孝    之要也、             身外の虚は、即ち吾が心の本体なり。故に曰く、              大を語れは天下能く載するなしと。    身外之虚者、即吾心之本体也、故曰、語大天    下莫能載焉、                  つつ       しんない  形よりして言へば、則ち身は心を裏み、心は身内                      つゝ   に在り。道よりして観れば、則ち心は身を裏み、   身は心内にあり。其の心は身内に在りと謂ふ者、      さうそん     わ            もの   わづら   一たび操存の功を遺するれば、則ち物我を累はす。             さと      てうだつ めう   其の身は心内に在りと覚る者は、常に超脱の妙を        もの  えき   得て、我れ物を役す。物を役すると、物に累はさ          がくしや   るるとの別は、学者宜しく之を知るべし。    自形而言、則身裏心、心在身内焉、自道而    観、則心裏身、身在心内焉、其謂心在身内    者、一遺操存之功、則物累我、其覚身在心    内者、常得超脱之妙、而我役物、役物与    于物之別、学者宜之、



孝軽に見ゆ



孝の要綱。










宇宙の虚霊は
吾心の本体。

中庸に見ゆ、
大の極を曰ふ。







●操存云々。孟
子告子上篇に孔
子の語を引いて
「操れば存し舍
つれば亡ぶ其れ
惟だ心の謂ひ
か」とあり、本
心を操り守らず
ば、物欲に累は
され迷ふ。

●超脱。物の累
より超越す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その4/その6

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ