山田準『洗心洞箚記』(本文)52 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.19

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『洗心洞箚記』 (本文)

その52

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

                     てんたう 六八 天もし心あつて春夏秋冬を運用せば、則ち顛倒  さくし  錯施、万世却つて生育することを得ざるなり。故に  人太虚に帰せずして、而て外に仁義を行はば、則ち                  すくな     亦た復た然らん。其の害を受くる者鮮からず。荘子     そし  仁義を毀るにあらず、其の毀る所は、私心あつて之  を行ふ者に在るなり。豈不可と謂はんや。   天如有心而運用春夏秋冬、則顛倒錯施、万生却   不生育也、故人不乎太虚、而外行仁義   則亦復然、其受害者不鮮矣、荘子非仁義、   其所毀、在於有私心而行之者也、豈謂不可   哉、



心。私心をい
ふ。

顛倒錯施。逆
になり、間違ふ。

荘子。老子と
並べて老荘と称
す、其の著荘子
中に、盛に仁義
を謗る。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その51/その53

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