山田準『洗心洞箚記』(本文)53 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.20

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『洗心洞箚記』 (本文)

その53

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

六九 問ふ、太虚に帰して後に仁義を為すと云ふ。則  ち未だ太虚に帰せざる者、仁義を為さずして可なる                     や。曰く、未だ太虚に帰せざる者も、自ら欺かずし    こゝろよ          くふう     とほ          ひる  て自ら謙くし、誠意の功夫、動に徹り静に徹り、昼  に徹り夜に徹り、終始一なれば、便ちこれ仁義を為                  けう  すの道にして、而て太虚に帰するの竅なり。故に未  だ太虚に帰せざる者と雖も、仁義何ぞ為さざるべけ  んや。   問、帰乎太虚而後為仁義云、則未乎太虚   者、不仁義而可耶、曰、未乎太虚者、   不自欺自謙、誠意之功夫、徹動徹静、徹昼   徹夜、終始一焉、便是為仁義之道、而帰乎太   虚之竅也、故雖乎太虚、仁義何可   不為也哉、





大学に「意を
誠にすとは自ら
欺くなきなり」
とあり。

謙は慊に同じ、
自ら満足するこ
と、大学に見ゆ。

竅。要穴の意。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その52/その54

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