山田準『洗心洞箚記』(本文)55 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.3

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『洗心洞箚記』 (本文)

その55

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

               七二 実に不義を知る、然る後其の富貴は浮雲の如き        しか          いづく  を知るなり。否らざれば則ち安んぞ之を知るを得ん。  而て是の知は便ち良知にして、而て聞見の知にあら  ざるなり。然るに学者聞見の知を推広し、其の浮雲                      たと  の如きこと、聖人と一般ならんことを欲す。譬へば べう         けん  眇にして千里の外を見、蹇にして高山の頂に登る如  し、其れ亦た難いかな。   実知不義、然後知其富貴如浮雲也、否則安得   知之哉、而是知便良知、而非聞見之知也、然学   者推広聞見之知、欲其如浮雲聖人一般、   譬如眇而見千里外、蹇而登高山頂、其亦難矣   哉、



論語述而篇に
「不義にして富
み且つ貴きは、
我に於て浮雲の
如し」とあり。





眇。すがめ。

蹇。足なへ、
びつこ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その54/その56

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