山田準『洗心洞箚記』(本文)58 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.6

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『洗心洞箚記』 (本文)

その58

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

   ●        ●しんがう 七五 王文成公、宸濠を討するの独断、固より其の良  知を致すなり。然り而て其の、其の良知を致す所以      さいきよさい       かへ  は、乃ち蔡虚斎が、岳飛の師を班せしを論ぜし書よ                これ  り来る。因て知る言を立て以て諸を天下万世に垂る、             すこ      おぎな  即ち亦た仁なり。鳴呼豈小しく之を補ふと曰はんや。   王文成公討宸濠之独断、固致其良知也、然而   其所以致其良知、乃従蔡虚斎論岳飛班師書   来、因知立言以垂諸天下万世、即亦仁也、鳴   呼、豈曰小補之哉、                      れきたく 七六 我れ常に一日を以て一年と為し、光陰を歴度す。  近ころ古人一日を以て百年と為し、百年を以て一日                        かぎり  と為すの語を読むに因つて、道窮りなく、而て学際  なきを悟るなり。   我常以一日一年、歴度光陰焉、因近読古   人以一日百年、以百年一日之語、悟   道無窮、而学無際也、


文成公。明の
王子名は守仁、
字は伯安、陽明
先生といふ、文
成は謚、陽明学
の首唱者なり。

宸濠。明の王
族、南昌に拠つ
て叛す。

蔡虚斎。名は
清、明代の朱子
学者、蔡文荘公
集あり。

南宋の岳飛。
名将恨を呑んで
師を還す。






●歴度。月日を
順次に計算する
こと。


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