山田準『洗心洞箚記』(本文)61 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その61

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

       どうき         七九 三蘇の学は道器を以て別と為し、二程の学は道               らくしよく  器を以て一と為す、是れ乃ち洛蜀争端の源する所な         けん     り。而て二程の見は聖人に詭せず。然れども学人本  心の良知に本かず、徒に道器は一と謂ふ、則ち恐ら      しやくがく  くは亦た釈学の空に陥らん。これ聖学の難き所なり。   三蘇之学、以道器別、二程之学、以道器   一、是乃洛蜀争端之所源也、而二程之見不乎   聖人、然学人不本心之良知、徒謂道器一、   則恐亦陥於釈学之空矣、是聖学之所難也、

三蘇。父の蘇
洵と、その二子
蘇軾(東坡)蘇
轍(頴浜)の三
人を云ふ。皆唐
宋八大家に列す。
道器。易の繋
辞伝に「形而上
は道と謂ふ、形
而下は器と謂
ふ」とあり。無
形の理、有形の
事といふ如し。
二程。宋の程
明道、程伊川を
云ふ。
洛蜀。二程は
河南の洛陽の人、
三蘇は四川の蜀
の人、互に党争
す。
詭せず。違ひ、
そむかず。


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