山田準『洗心洞箚記』(本文)62 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その62

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

   けいうんめいらいせいふうわき        しやう 八〇 慶雲鳴雷凄風和気は、皆これ太虚の象にして、  而て常に有らず。然れども時あつて出づ。喜怒哀楽  は、皆これ人心の情にして、而て常にあらず。然れ                   すなは  ども時あつて起る。故に喜怒哀楽は、便ちこれ天の  慶雲鳴雷凄風和気にして、而て慶雲鳴雷凄風和気は、                 便ちこれ人の喜怒哀楽なり。元と是れ不二なり。然  り而て人太虚に帰せずして、而て喜怒哀楽、情に任    きめつ        うしな      ほろ  せ起滅すれば、則ち徳を亡ひ、身を喪ぼすの基なり。       どく  故に君子は独を慎み、太虚に帰せんことを惟だ是れ  これ務む。是を以て喜怒哀楽の境に当りて、尤も忍  んで軽々しく起さず。吾れの如き者は則ち之に反す、  宜しく慎むべきなり。   慶雲鳴雷凄風和気、皆是太虚之象、而不常有、   然有時出焉、喜怒哀楽、皆是人心之情、而不常   有、然有時起焉、故喜怒哀楽、便是天之慶雲鳴   雷凄風和気、而慶雲鳴雷凄風和気、便是人之喜怒   哀楽也、元是不二矣、然而人不乎太虚、而喜   怒哀楽、任情起減、則亡徳喪身之基也、故君子   慎独帰乎太虚、惟是之務、是以当喜怒哀楽之   境、尤忍而不軽起焉、如吾者則反之、宜慎   也、


慶雲。めでた
い雲。








元是不二。天
人合一の見地よ
りいふ。


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