山田準『洗心洞箚記』(本文)64 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.12

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『洗心洞箚記』 (本文)

その64

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    八三 善無く悪無きは、心の体なり。故に君子知を致     たゞ  し物を格し、以て其の体に帰すれば、便ちこれ太虚                 くわん  にして、而て万事万物皆其の中に涵せらる。これを            ゐいくさんさん      と  以て日用応酬す、故に位育参賛の功徳を遂ぐるを得  るなり。   無善無悪、心之体也、故君子致知格物、以帰   乎其体、便是太虚、而万事万物、皆涵於其中矣、   以是日用応酬、故得位育参賛之功徳也、         おのれ 八四 学は固より己の心を正しくし、己の身を修む。  然れども己の心を正くし、己の身を修むるのみを以  て、学の至りと為すは、蓋し大人の道にあらず。そ                   れ身外の虚は皆吾が心なり。則ち人物は心中に在り。    其の善を為し、悪を去るは、亦た我が身の事にして、             きはま  而て其の善を為すも亦た窮りなし、悪を去るも亦た            たふ       や  窮りなし。故に大人は斃れて後に休む。故に斃れざ        る内は、其れをして善をなし、其れをして悪を去ら  しむ。便ちこれ功夫なり。   学固正己心、修己身、然以己心己身   而已、為学之至焉、蓋非大人之道矣、夫身外   之虚、皆吾心也、則人物在心中矣、其為善去   悪、亦我身之事、而其為善亦無窮也、去悪亦   無窮也、故大人斃而後休矣、故不斃内、令其   為善、其去悪、便是功夫、



王子四句数の
首句なり。

涵。含み、取
入れること。

中庸に「中和
を致して、天地
位し、万物育す」
とあり。

















人物は太虚な
る我が心中にあ
る。

其の。人物を
承けていふ。



其れ。また人
物を指す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その63/その65

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