山田準『洗心洞箚記』(本文)65 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その65

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

        さゝ            八五 月の樹葉に障へらるや、而も葉間光を漏らすと           さへぎ          雖も、葉の当る処は遮り了る。乃ち月体を虧ぐるに  似て而も虧ぐるにあらず。これ常人良知の気質に障         いんけんだんそく  へられて、而て隠見断息するの義を悟るべし。故に  学気質を変化するに至らざれば、則ち良知内に存す             せうてつ  と雖も、焉んぞよく外に照徹せんや。   月之障乎樹葉、而雖葉間漏於光、葉之当処遮   了、乃似月体而非虧焉、是可常人良知   之障於気質、而隠見断息之義也、故学不   化気質、則良知雖於内、焉能照徹於外也哉、



樹葉。後の気
質に当る。



隠見断息。良
知が隠れ、見え、
断たれ又た続く。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その64/その66

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