山田準『洗心洞箚記』(本文)66 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.27

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『洗心洞箚記』 (本文)

その66

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    人 八六 或立志の義を問ふ。曰く、先づ志字を知つて而               て可なりと。曰く、心の之くところ之を志と謂ふは、    是なるかと。曰く、否、これ立志の志の義にあらざ             したが   したが  るなり。それ志字は士に从ひ、心に从ふ。是れに由  つて之を観れば、則ち士の心を立つるのみ。士の心             こうさん  は、則ち孟子の謂はゆる恒産無くして恒心ある者は、    惟だ士能くすと為すものなり。其の恒心とは、何ぞ  や。貧賤禍害を以て善を為すの心を易へざるなり。  故に学者は先づ其の心を立てて以て聖学に従事すれ      しゆし  ば、則ち種子を下して成実を望むが如きなり。因て  ふそく  不息の功を用ふれば、乃ち賢と為り聖となる、それ          いた  亦た是れに由りて臻らんか。   或問立志之義、曰、先知志学而可矣、曰、心   之所之謂之志、是歟、曰、否、此非立志之志   之義也、夫志字从士从心、由是観之、則立   士之心焉耳、士之心、則孟子所謂無恒産而有   恒心者、惟土為能、其恒心者、何也、不貧   賤禍害善之心也、故学者先立其心、以   従事於聖学、則如種子成実也、因用   不息之功、乃為賢為聖、其亦由是臻焉乎、








从。従ふ。




恒産。孟子梁
恵王上篇に見ゆ、
生活に困らぬ一
定の産業。





不息の功。自
彊息まざる仕事。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その65/その67

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