山田準『洗心洞箚記』(本文)73 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.9.30

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『洗心洞箚記』 (本文)

その73

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

          じゆん ぎやく 九三 天地の道は、一順一逆のみ。順境の如きは則ち こゝろ  心虚に帰せざる者と雖も、亦たよく応ず。而も逆境  に至つては、則ち心虚に帰する者にあらざれば、之              しばら  に応ずるに足らざるなり。姑く論語の首章を以て言       がくしふ ほうらい           やす  はば、則ち学習・朋来は即ち順境なり、故に猶易し。         いきどほ  而て人知らずしてチらざるは、即ち逆境なり、故に                  難し。然り而て虚心の君子之に処れば、則ち又た猶                    るいち  順境と異なるなし。其の他は此れを以て類知すべき  なり。   天地之道、一順一逆而已矣、如順境、則雖   心帰乎虚、亦善応焉、而至逆境、則非心   帰乎虚之也、姑以論語首章言、則   学習朋来即順境、故猶易、而人不知而不チ即逆   境、故難、然而虚心之君子処之、則又猶与順境   無異矣、其他以此可類知也、








学習。学んで
時に習ふの意、
論語首章に出づ。

朋来。同上。

人知らず。同
上。



『洗心洞箚記』(本文)目次/その72/その74

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