山田準『洗心洞箚記』(本文)87 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.25

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『洗心洞箚記』 (本文)

その87

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

一一〇 父母の心を以て心と為さざれば、則ち孝と謂  ふべからざるなり。何に於てか尤も之を見る、夫婦               だいそく  の事に於てか尤も之を見る。内則に曰く、「子甚だ             よろこ       い  其の妻に宜しきも、父母説ばざれば出だす。子其の  妻に宜しからざるも、父母これよく我れに事ふと曰  はば、子夫婦の礼を行ひ、身を没するまで衰へず」                      たれ  と。父母の心を以て心と為す者にあらずば、孰かよ                    かやく      けう  く真に之をなさんや。吾が弟子今此の家厄あり、教    喩するに斯の義を以てす。幸にして聴いて曰く、其  の礼を行ひ、身を没するまで衰へざらんと。鳴呼、            ち か  実に其言を践まば、則ち庶幾し。故に之を記して以     て門に及ぶの人に示す。   不父母之心心、則不孝也、於何尤   見之、於夫婦之事尤見之、内則曰、「子甚宜   其妻、父母不説、出、子不其妻、父母曰   是善事我、子行夫婦之礼焉、没身不衰」、非   以父母之心心者、孰能真為之哉、吾弟子今   有此家厄、教喩以斯義、幸而聴曰、行其礼   焉、没身不衰、鳴呼、実践其言、則庶幾焉、   故記之以示門之人






内則。礼記に
内則篇あり。

妻が父母の気
にいらなければ
離縁するの意。











庶幾し。孝に
近しとの意。

門に及ぶ。門
下に在る人。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その86/その88

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