山田準『洗心洞箚記』(本文)89 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.27

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『洗心洞箚記』 (本文)

その89

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

      ふんだ               かう 一一二 利欲紛拏の時に当つて、良知を致すを以て  がく            う ぐ  ちか        すて  学と為す。実に迂愚に庶し。然り而て之を舎て、以     かへ      な          て性に復り人と為るの道なし。故に天地の為に心を  立て、万世の為に太平を開くの志ある者にあらずん    だれ       かう       えうかう  ば、孰かよく真に之を学せんや。故に姚江の師弟  の外、未だ嘗て其の人を見ざるなり、   当利欲紛拏之時、以良知、実庶乎   迂愚、然而舎之以無性為人之道、故非   為天地心、為万世太平之志、孰能   真学之也哉。故姚江師弟之外、未嘗見其人   也、


紛拏。乱れ、
つかみ合う。

。教に同じ。

性に復り。本
性に復る。宋儒
の唱ふる学説。

天地云々。張
横渠の語、近思
録に見ゆ。

姚江。玉陽明
の生地余姚県に
姚江あり、転じ
て王陽明を指す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その88/その90

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