山田準『洗心洞箚記』(本文)90 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その90

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

          ぐ び 一一三 良知は各々具備すること、地中の水の如し、                     さか  有らざることなし。之を致すの難き、水に逆ふ舟の     おこた          じゆん  如し、惰れば則ち退いて進まず。荀子之を致すの難     み      せいあく  きを覩て遂に性悪と謂ふ。孟子有らざるなきを見て、  だん  断じて性善と謂ふ。それ之を致すの難しと雖も、然  れども有らざるなければ、則ち本来の性は固より善              くわん   かく  のみ。故に性善の説万世に冠し、確乎として其れ易  ふべからざるなり。然れども之を致さざれば、則ち  視聴言動皆道を離る。皆道を離るれば則ち果して人  か、抑々獣か。もし獣ならば則ち性果して善か、抑々              悪か。吾れ荀説の世に孚するを恐るなり、是の故に  学者は志を立て以て之を致さざるべからざるなり。   良知各具備焉、如地中水、無有、致之之難、   如水舟、惰則退而不進、荀子覩之之難、   遂謂性悪、孟子見有、断謂性善、夫雖   致之之難、然無有、則本来之性、国善也已   矣、故性善之説、冠于万世、確乎其不易者   也、然不之、則視聴言動皆離道矣、皆離道   則果人乎。抑獣乎、若獣也則性果善乎、抑悪乎、   吾恐荀説之孚于世也、是故学者不志   以致之也、




致。徹底的に
実行すること。

荀子。周末戦
国の学者、孟子
と並べて孟荀と
称せらる、其著
二十篇、中に性
悪篇あり、人性
の悪を主張す。








孚。人に信ぜ
らるること。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その89/その91

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