山田準『洗心洞箚記』(本文)95 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.8

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『洗心洞箚記』 (本文)

その95

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

        ござう  しん      こゝろ 一二一 心は即ち五臓の心にして、別に心なるものあ             しん  らざるなり。其の五臓の心は僅に方一寸にして、而      うんちく たうぎようあん  て天理を薀蓄す。唐凝菴曰く、「性は是れ此の気の                   極めて條理ある処に過ぎず。気を舎くの外、安んぞ              しん  性あるを得ん。心は五臓の心に過ぎず、五臓を舎く     いづく  の外、安んぞ心あるを得ん。心の妙処は方寸の虚に           在り、則ち性の宅る所なり」と。吾が説之と期せず      して符を同じうす。猶君子の論を俟つ。   心即五臓之心、而不別有心也者也、其五臓之   心、僅方一寸、而薀蓄天理焉、唐凝菴曰、「性   不是此気之極有條理、舎気之外、安得   有性、心不五臓之心、舎五臓之外、安得   有心、心之妙処、在方寸之虚、則性之所宅   也、」吾説不之期両同符、猶俟君子之論



五臓。肺臓心
臓脾臓肝臓腎臓
をいふ。

唐凝菴。明の
隆慶中の進士。
字は鶴徴、博学
を以て聞ゆ。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その94/その96

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