山田準『洗心洞箚記』(本文)97 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.10

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『洗心洞箚記』 (本文)

その97

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

     一二三 為す所あらずして之を為すものは大学の教に              かくなん       がいさい  して、而て聖人の道なり。客難に曰く、「天下害  無くば、聖人ありと雖も、才を施す所なし。上下和  同すれば、賢者ありと雖も、功を立つる所なし。故        に曰く、時異なれば事異なりと。然りと雖も安んぞ  以て務めて身を修めざるべけんや」と。其の身を修                さく      こつけい  むるの一言を観れば、則ち東方朔も、それ亦た滑稽                ちか  の徒にあらず、而して道を知るに庶き者か。   不為而為之者、大学之教、而聖人之道也、   客難曰、「天下無、雖聖人、無   才、上下和同、雖賢者、無功、故曰   時異事異、雖然安可以不務修身乎哉」、観   其修身一言、則東方朔其亦非滑稽之徒、而   庶乎知道者歟、



為す所云々。
修身の教なり。

客難。文選に
出づ、東方朔の
文。


時異云々。韓
非子の語。



東方朔。前漢
武帝に仕ふ、滑
稽を以て名あり。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その96/その98

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