山田準『洗心洞箚記』(本文)98 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.11

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『洗心洞箚記』 (本文)

その98

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

        いた             一二四 民を視る傷めるが如しの四字、前には明道先    たつと          たつと  生に崇ばれ、後には敬軒先生に崇ばる。而て其の出                      はうくわつ  処を尋ぬるに、孟子に出づと雖も、而て又左伝逢滑  の語なり。春秋の世乱ると雖も、猶先王の余風の在                 るあり。故に是くの如きの語を吐き得。戦国秦漢に                  はら  たうじん  至つては、傷めるが如きの政、地を掃うて蕩尽す、  悲しいかな。而て二先生或は坐処に皆書し、或は心   めい           い          さうけん  に銘す、則ち三代已上の人なり。謹みて想見すべし。   視民如傷四字、前崇於明道先生、後崇於敬   軒先生、而尋其出処、雖孟子、而又左伝   逢滑之語也、春秋之世雖乱、猶有先王之余風在   焉、故吐得如是語、至戦国秦漢、如傷之政、   掃地蕩尽矣、悲夫、而二先生或坐処皆書、或銘   心、則三代已上之人也、謹可想見焉、



孟子離婁下篇
に見ゆ。

程明道。前出薛敬軒。前出左伝。春秋左
氏伝、逢滑は陳
の大夫。

蕩尽。亡び、
なくなる。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その97/その99

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