● いた ●
一二四 民を視る傷めるが如しの四字、前には明道先
たつと ● たつと
生に崇ばれ、後には敬軒先生に崇ばる。而て其の出
● はうくわつ
処を尋ぬるに、孟子に出づと雖も、而て又左伝逢滑
の語なり。春秋の世乱ると雖も、猶先王の余風の在
か は
るあり。故に是くの如きの語を吐き得。戦国秦漢に
はら ●たうじん
至つては、傷めるが如きの政、地を掃うて蕩尽す、
悲しいかな。而て二先生或は坐処に皆書し、或は心
めい い さうけん
に銘す、則ち三代已上の人なり。謹みて想見すべし。
視民如傷四字、前崇於明道先生、後崇於敬
軒先生、而尋其出処、雖出孟子、而又左伝
逢滑之語也、春秋之世雖乱、猶有先王之余風在
焉、故吐得如是語、至戦国秦漢、如傷之政、
掃地蕩尽矣、悲夫、而二先生或坐処皆書、或銘
心、則三代已上之人也、謹可想見焉、
|
●孟子離婁下篇
に見ゆ。
●程明道。前出。
●薛敬軒。前出。
●左伝。春秋左
氏伝、逢滑は陳
の大夫。
●蕩尽。亡び、
なくなる。
|