Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.1.17

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大塩の乱関係論文集目次


「主義の人、大塩平八郎」

その8

山上智海

『法華外伝』田辺書店 1920 所収


◇禁転載◇

ルビは、適宜採用しています。


      とき  時利あらずして彼れが義挙も世に誤られました。けれども、是の一       よ  しうれん       やうちよう  かんきつ 挙によつて克く聚歛の俗吏を膺懲し、奸譎の徒党を払掃し得たのみな らず、やがて物資を調節し社会の秩序を保たしむるに至りし功勲は、 永劫に滅びることはありませぬ。 しかのみならず こゝ  加旃、爰に彼れの為めに特記すべき事実があります。そは平素日蓮        ぐぼふ       かんぷ 大聖人の死身弘法の願業に感しつゝ在りし彼れは、義挙に先だつこ と数日、京都の鷹司宰相へ宛てゝ真情を披瀝した一通の書状を差出し                          くだり たのであります。それは『浮世の有様』天保八年雑記の條に  一、京都鷹司相公へも一通書状、平八郎より前方差出候由。是れは   ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・   封建、郡県の儀を論じ、王霸の正道を挙げ、実心を顕し候体に認   め取り、保元の頃より公権を武威に誤まられ候成行き、復古の趣   を飾り、米倉官等の旧記に準じ候種々漢文の由。 と見えて居る通りですが、前掲檄文の『天照太神の時代に復しがたく とも、中興の気象に回復とて立戻し可申候』。と言へるところと自ら 相照応して居るではありませぬか。彼れが頼三陽*1と殆ど其時代を同 じうして、復古主義、中央集権主義を論じ、王覇の邪正を高調して所                      謂幕末勤王家の先駆を為したのみならず、亦克く解行相即の実現を試                         ゆえん みましたことは、彼れの最期を一層華やかに光飾した所以なのではあ           りますまいか。あゝ斯くて大塩中斎は、徹頭徹尾目覚ましき日蓮主義 の体読者であつたことを保障され得るかと信ぜられるのであります。


管理人註
*1 頼陽。


『浮世の有様』天保八年雑記の條


「主義の人、大塩平八郎」目次/その7

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