COACHING TO SECURE SELF-ESTEEM
自己承認こそ人間力の本質

まず自己承認から始めよう


■承認という生き方

コーチングはいろいろな側面がありますが、その半分は承認という生き方(WAY OF LIFE)だと言えます。要点をまとめる下記のようになります。

@各人の意欲や幸福の源泉は自分を承認(肯定)できることである。

A他者を承認すると、承認された人は自分の承認を強化する。承認の転化
  したがって、承認された人は意欲を増すとともに、幸福を感じる。

Bその結果、承認された人は承認してくれた相手に承認を返すとともに、
  第三者にも承認を分かち与えるものである。承認の波及

承認という生き方は、こうして承認し合いながら、各人が自分の目標を実現しつつ、自分も周囲も円満に幸福になっていく、というライフ・スタイルであるわけです。ここで注意すべきは、自分で自分を承認できることが、他者を承認できる条件であるということです。自分で自分を承認できない限り、他人の承認は口先だけのものになります。



■自己承認なくして健全な精神なし

人々は基本的に正直で善良です。筆者は性善説の立場を取ります。では性善説とはどういうことなのでしょうか。
 
人間に真理や善悪を判断できる内部理性(神性)が備わっていて、たまに誤ることはあるにせよ、その理性の判断は基本的に正しい、ということなのです。人が生きていくということは絶え間なくこの内部理性が、承認を繰り返すプロセスである、ということです。

たとえば仕事の仕上がりにしても、「これでよし」
たとえば言葉遣いひとつにしても、「これでよし」
たとえば自分の服装にしても、「これでよし」
 
という承認を間断なく繰り返しているわけです。人間は神性に裏付けられたプラスの自分自身(内部理性)の承認が絶えず必要な存在なのです。
 
「これでよし」というい自己承認を毎日繰り返して生きていると、当然出てくる概念は、
 
「自分は正しい」
「自分はできる」
 
という自分の人格の肯定です。自己承認を積み重ねるならば、生きる方向は真善美に合致します。

どんな逆境にいても、どんなに失敗と見える境遇にいても、私たちが高邁に理想を生き、正義を貫き、魂の純粋性を失わなかったならば、必ず内部理性が「お前は勝利者である。偉大なる者である。わが子よ」とよびかけてくれるものです。私たちはこの魂の内なる信頼をけっして裏切ってはならないのです。つまり自己承認ができる限り、人間は逆境を跳ね返す強靭な精神力を持ちうるわけです。

もし仮に自己承認ができないというのであれば、日ごろ、
 
「自分は間違っている」
「これじゃだめ」
 
といった忸怩とした思いのなかに生きているということです。これでは信念や意欲といったものが出て来ず、刹那的、破滅的な人生を送るしかないでしょう。鬱病のような心の病を持った人は例外なく自己承認ができない人です。部分的に自己承認ができない場合は、「何かしら後ろめたい部分がある」という形で表われます。

こう考えると、自己承認は水や空気と同じように必要不可欠ということがわかります。自己承認なくして健全な精神はないのです。ですから、自己承認がないというのは、魂の内なる信頼を裏切っていることで、ちょっと考えても「あってはならない状態」であることがわかります。



■まず自己承認を確保せよ 

「まず自己承認を確保せよ」
 
これはいかなる場合にあっても最も優先されるテーマであるはずです。
 
しかし、世間一般ではそうは教えません。往々にして、
 
「他人に迷惑をかけてはいけない」とか
 
「人間謙虚であるべきだ」
 
などと他人や世間中心の考え方が至上価値となっています。しかし、他人の視点は二の次、三の次でいいのです。それよりもまず自己承認を確保することです。これができてこそ、自分の精神状態が正常に保てます。そして他人との関係も正常になって幸せな日々を送ることができるわけです。
 
自己承認が確保できて不遜になったり、天狗になったりしても、自己承認が確保できないでいるよりはよほどマシです。
 
「まず自己承認を確保せよ」
 
自己承認は空気や水同様、人間の存在にとって必要欠くべからざるもの、と断言できるでしょう。人生百般の問題は、まず自己承認を確保することによって解決していくのです



■プライド 
 
「彼はプライドが高い」
 
これは通常ネガティブなコメントです。しかし、プライドが高いというのは悪いことなのでしょうか。プライドが高いということは、とりも直さず、自己が承認(肯定)できる、ということです。自己承認ができないでプライドが高いことはありえないでしょう。だからむしろプライド高くあるべきなのです。
 
このコメントで焦点が当たっているのは、
 
@考え方の柔軟さ
A謙虚さ
B素直さ
C思いやり
 
といった点が「欠ける」ということです。だから@〜Cが確保できたらよいだけの話です。間違っても、「プライドが高いのはよくない」とか「自己承認は悪である」といった理解をしてはダメです。プライドのない人間は存在意義に欠けるし、事実役に立ちません。
 
自分で自分が承認できないということは、意欲・気力が萎えているということだからです。自分で自分を承認できなくなることを「落ち込む」とか「凹む」とか言いますが、そうした状態に立ち至ったときは全力で自分のプライドを取り返す努力をすべきなのです。
 
プライドはいくら高くても高すぎることはないと思います。プライドこそ自己承認そのものであり、信念の源泉だからです。
 
@〜Cがないプライドの高さは、本当にプライドが高いわけではなく、劣等感の裏返しと理解すべきなのです。自分のプライドが十分高まったとき、@〜Cの美徳は自然に手に入ります。だからホンモノほど@〜Cの美徳を持ち合わせているのです。



■他人の承認は愛である
 
よく、
 
「自分を愛せなければ、他人を愛せない」
 
と言われますが、これはそのまま、
 
「自分を承認できなければ、他人を承認できない」
 
とそのまま読み替えることができます。
 
キリスト教的「愛」も煎じ詰めれば結局「承認」ではないか、と考えざるを得ません。つまり、「自分を肯定して欲しい」という相手の承認欲求に対して、
 
「相手の気持ちをわかってあげて、そうした言葉を相手にかける」
 
という行為が愛であるなら、それは承認そのものであるわけです。
 
たとえば、いろいろ批判されたとしても、
 
「ねぇ、君もいいものを持ってるんだから、くじけずがんばりなさいよ」
 
と声をかけてもらえるのともらえないのとでは雲泥の差があります。
 
「いいものを持っている」というたったひと言の承認が人を元気付け、人を動かすのです。これこそ「愛」ではないか、と私には思えるのです。



■自分自身を承認できて、はじめて他人が承認できる
 
人間は自己承認で呼吸しています。しかし同時に、他人からの承認を食って生きている生き物です。これは万人にとって真理です。人はお互い支え合って生きているのです。他人から承認してもらうことで、幸福感を感じます。また、人生は厳しいものです。他人から承認してもらうことで、ともすればくじけそうになる自分を奮い立たせ、元気が出せるわけです。
 
心すべきポイントは自分自身を承認できて、はじめて他人が承認できるということです。
 
自分が承認できないでいて、他人を承認する余裕はないでしょう。たとえば自信なく弱々しく生きている人が、他人を人を心から承認できるでしょうか。とうてい無理でしょう。そんな自信なく弱々しく生きている人から口先だけで承認してもらっても、何もうれしいことはないはずです。

しかし、自分が尊敬する偉大な人物から承認してもらえば、何にも増してうれしいことでしょう。自分が承認できる人こそ、他人を承認できるのです。
 
また自分自身を承認できないでいると、他人からの承認を受け取ることもできません。失意、絶望、さらにはそれが慢性化して継続する心の病(たとえば鬱病など)を持っている人は他者から承認された場合、たいへん当惑した顔をするものです。
 
つまり、自分自身を承認できないでいることは、他人を承認できず、他人からの承認も受け取れない、ということを意味します。
 
言い換えると、自分自身を承認することができれば、他人を承認できて、他人からの承認も受け取れる、ということにもなります。承認は自他一体のものなのです。
 
また、他人が承認できるようになれば、必ず他人から承認してもらえます。承認は返ってくるのです。自分自身が承認できることは取りも直さず他人から承認してもらえることでもあるのです。
 
まず自分自身を承認せよ。そうすれば他人を承認でき、他人から承認されるであろう
 
と言えるのです。そうした承認の世界に生きることこそ、幸福の礎です。人生を開く鍵は自己承認に見出せるのです。では自己承認にはどんな方法で取り組めばいいのでしょうか。それを次に書いてみます。




■一歩一歩小さな成果を積み上げる<レベル1>
 
いかに逆境にあろうとも、自己承認を失わない限り立ち直れる、ということは多くの書籍の指摘するところです。「オレはできる」と思っている人が最後に勝利するというわけです。言い換えると、自己承認があって直面する逆境は見せかけであって、まず乗り越えられるものです。
 
この逆も真です。恵まれた境遇にいても、自己承認がない限りどうにもならない。積極心とか信念の実体が「自己承認」であるなら、失意、絶望、さらにはそれが慢性化して継続する心の病(たとえば鬱病など)は「自己承認がない状態」に違いありません。
 
自分の経験を振り返っても、挫折と同時に自己承認を失った時が、一番こたえました。通常そんな場合は叱責や批判が追い討ちをかけ、いよいよ自己承認できなくなるものです。
 
それからどう抜け出すか?結局、一歩一歩「これでよし」を積み重ね、小さな結果を積み上げて行けば、平常心は取り戻せます。それがある日ブレークして、まとまった成果となれば、自己承認は完全に取り戻せます。いや、窮地を乗り越えたことで、自己承認はより強固なものとなっているものです。

小さな自己承認を積み重ねることこそ、失くしてしまった自己承認を実際的に回復する方法でしょう。失敗続きでは自己承認どころではありません。結局、凡人が自己を承認しようとすれば、小さな成功を積み重ねて、徐々に自信をつけていくしかない、と言えます。
 
結局、「窮地を乗り越える」というのは「自己承認を取り戻す」というのと等価なのです。自己承認を取り戻せば全ては解決するのだ、と言って間違いはないでしょう。



■人生に志を持つ<レベル2>

人間はこの世に生を受けて、単に生存するだけでは満足できず、使命を見出して、それを果たさなければ、心から満足できない生き物である、と言えます。これは多くの人がそう語っているし、自分の経験からもそうであるとしか言えません。
 
自己承認をすることは目先の問題に当然必要です。これに加えて、長期的な人生の構想に対しても自己承認できることが必要なのです。長期的な人生の構想とは世間で「志」と呼んでいます。志を立てること、すなわち「立志」が必要だということです。
 
人間は志を持っている状態に対して十全な自己承認ができます。しかし、志がなければ自己承認は部分的にしかできないのです。自己承認できるためには、単に生存しているだけでなく、「立志」が必要です。言い換えれば自分の生まれてきた使命を見出し、その使命に沿った生き方をする必要があるのです。
 
使命を見出すと、自己承認できる結果、自己承認ということにすらあまり思いをいたさなくなるようです。そして意欲は途切れることがなく、想像を絶する力を身につけ、恐るべき逆境もはね返してしまうのです。
 
たとえばエジソンは電球をつくるという志があったわけですが、この目的のために1千回近い失敗を繰り返しています。しかし本人は気負いなく、単にやるしかないからやった、と語っています。そうしたエネルギーは志からでてくるのです。つまり立志によって人間はステージが上がって、生き甲斐を見出し、神通力を身にまとう、というわけですね。
 
立志のない人生は一見幸福なように思えても、真の幸福から遠い、というのが実態でしょう。自己承認するためには立志のある人生を送ることがポイントです。そこに人生の本懐があるからです。



■心の法則を知る<レベル3> 
 
成功哲学という精神科学の一分野があります。いろいろな人がいろいろな述べ方をしていますが、すべて同じ原理を述べていると考えられます。ひと言で言えば、
 
私たちが一度この世に実現しようと堅く決意したものは、その決意を中和するか修正しない限り、必ず実現して私たちの体験するところとなる。それゆえ私たちがある確固とした希望を実現しようという決意に到達し、その実現のありさまを命の底深く実感するとき、宇宙に遍満する心の大海原を動かす力が発生し始め、私たちの人生の目的の実現に同調する人たちが私たちと自然交渉を持つようになる。こうして私たちを正しい方向に着々と動かす機会が私たちの前に現れる。
 
ということです。ポイントは

「どうしてそれがうまく行くんだ?」
 
とあまり論理的?な疑問を起こしてはならない、ということです。そうすると信念が薄まってしまう。それよりも、
 
「自分は強運なので、いかなる挫折を経ようとも、最後には想いを遂げる」
 
と一途に信じるのがよい、ということです。
 
私は決して失敗の人生を送っているとは思いませんが、大成功には程遠いと思います。ですから、成功哲学を論じる資格はとてもあるとは言えません。
 
しかし、これだけは言えるでしょう。
 
「自分は強運なので、いかなる挫折を経ようとも、最後には想いを遂げる」
 
というのは、自己承認そのものだということです。成功哲学の根底となる概念は自己承認であり、どれだけ強い自己承認が持ちうるかが勝負、というわけです。結局、成功哲学とは自己承認を別の角度から説明したものと言えるのです。



■宇宙生命と繋がる<レベル4>
 
「宇宙全体が生命で、個々の生命は宇宙生命によって生かされている。だから人が正しく強く生きていくためには、宇宙生命としっかり繋がらなくてはならない。そのためには積極心を持ちなさい」

これは中村天風の教えです。

釈迦とかイエスは悟った結果、自己承認の言葉を残しています。
 
天上天下唯我独尊(釈迦)
わたしは道であり、真理であり、命である(イエス)
 
これは自分は偉いんだ、と言っているわけではありません。自分の生命は宇宙生命と一体であると観じた結果、宇宙生命がそれぞれの肉体を借りて声を発した、というわけです。宇宙生命と繋がることは、人間が最高の神通力を身に付けることで、おそらくは究極の自己承認でしょう。人間は悟ればここまで行き着く「可能性」だけは平等に持っています。
 
無条件の自己承認は凡人には難しいものです。ですから何かの達成感をもとに自己承認をしようとします。たとえば、有名校に合格した、大会で優勝した、語学をマスターした、本を出した、家を建てた、等々です。通常こうした達成感には他人の承認がついてまわるので、自他共の承認が可能となります。
 
しかし、何かの理由で徐々に積み重ねてきた自己承認を失くしてしまった場合は、この宇宙生命と繋がる自己承認に立ち返ることになります。人間は宇宙生命に生かされている存在であるので、その理(ことわり)を知れば本質的に自己承認できる生き物なのです。



■ 最後に・・・

結局、信念や悟りといった究極の概念も自己承認を別の角度から言い換えた表現なのです。だから人生の究極の目的は自己承認だと言っていいのです。

自己承認のアプローチには具体的なレベルも、抽象的なレベルもあります。

レベル1 一歩一歩小さな成果を積み上げる 努力
レベル2 人生に志を持つ 立志
レベル3 心の法則を知る 成功哲学
レベル4 宇宙生命と繋がる 信仰


下にいくほど抽象的になります。4つのレベルから自己承認に取り組むのが理想的です。もとより私も発展途上ですが、自己承認こそ人間力の本質であり、それぞれのレベルから自己承認を強化してゆけばいいのだ、と信じてやみません。

またコーチングとはその多くの部分が自己承認を相手に分かち与えるプロセスということができます。自己承認ができるほど、つまり人間力が高いほど、提供できるコーチングの質は高く、効果的にクライアントを支援できるのです。


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