Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.21

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「丁 酉 日 録 (抄)」 その27

藤田東湖

『東湖全集』博文館 1909 より


◇禁転載◇

十九日 陰 袷二つ位の候管理人註

登殿、めされて御前へ出ければ、これ見よと仰られし、一通の書を 授け玉ふにぞ、ひらき見るに、立原甚太郎氏の上書にて、其中に又            * 一通の書あり、これは、麾下の士佐々木三蔵といへる人 大納言様 御目付 の公へ奉れる書なりける、其大意は国家の事、御直に申上       * 度事候間、御間暇の折めさせられたきとの事にて、立原の書は三蔵 の書を呈するよしの文也、彪が見おはるおり、 公の仰に、我等こ の三蔵とやらんに逢て話をも聞まほしくは思へ共、嫌疑多き世の中 なれば、なまじゐのことにて、この三蔵が身の為あしき様成行ては あはれむべし、されば対面のことは、まづたやすからぬよしをいひ 存る旨つはらに書て、窃かに我等におこせよと三蔵へ一書を贈らん とおもふは如何とあるにぞ、彪申上げるは、 公の仰、いかにも理 に当りたる御事に存じ奉るなり、さて三蔵もかく申上候程の人なれ ば、大方は志ある人物とおぼえ候得共、よく其人物聞し召たる上に て、御書を玉はり候て、しかるべく奉存候と申もはてず、 公の玉 ふは、しからず、汝、速に甚太郎に承り、三蔵の人物、委細に申聞 よとありければ、御前を退き、御用部屋にゆき、立原氏を呼出し、 かく/\仰ありけると語りしに、立原子曰、我も三蔵には此度はじ めて逢たり、三蔵、御広間へまゐりて、御近習の頭に逢度といひし よしに而、我につげけるにぞ、対面しぬるに、三蔵いへらく、某御 屋方へ年来出入致しけるが、今度大阪騒動の事、また御老中欠席の 事、其外 宰相の君御心得に言上致し度事あり、しかし新役の事と て、同役へ熟議せし事にもあらず、全く一己の存意のよし申のべ、 一通をさし出したるにぞ、そのまゝ上達せり、年のころ五十過ぎ、 いと律儀に見ゆる人物也と語りける、局に入、立原子のいへるまゝ を書て言上しぬ、 ○書記仰付られべき人に乏しければ、有賀某 書記也 を転役せしむ るの議はやみぬるよし、十六日、水戸同僚より申来たれ共、有賀は 絶て用にたえぬ人なるを、そのまゝおきて、外に人なしといへるは、 やすからぬ事におもひ、多田原田二子へもはかりて、けふ同僚へ一 書を贈り、有賀を転じ、深沢甚五兵衛を書記局に再勤なさしめ度よ しを申やりぬ、 ○又めされて 御前へ出ければ、戸田氏、既に御前にあり、かれこ れと 御議論被為在、さて三蔵へかく書を贈らんと思ふよし、仰あ りて草稿を示し玉ふにぞ、よろしからざる御文義、かれこれと申上 げるに、さらば汝草せよとて紙筆をさづけ玉ふにぞ、かしこくも御 前にて草して、御覧にそなへける、夜跡部を訪ふ、







旗本



閑暇と同じ

有働賢造「大塩事件とその影響」その5


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