Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.7.16

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大塩の乱関係史料集目次


「御触」(乱発生後)その9

『大阪市史 第4巻下』(大阪市 1913、1927再版)
「御触及口達」より



天保八年二月一九日、大塩の乱発生のあとの御触


達1883 三月廿七日大塩平八郎并同人忰格之助及自穀候ニ付、諸商人共無危踏商売可致候事、
大塩平八
郎父子自
殺

  【ロ 達】

去月十九日市中放火乱妨(暴)(ニ脱)およひ候大塩平八郎并同人忰格之助儀、油掛町美吉屋五郎兵衛方ニ忍候風聞有之、為召捕組之者差向候処、両人共致自殺相果、其外徒党之ものとも追々召捕、又ハ自殺等いたし候間、其段令承知、無掛念普請等もいたし、諸商人共無危踏商売可致候、
右之趣三郷町中不洩様可申聞候  ○触1876を見よ

  酉三月  ○南組惣年寄の副書の日付は廿七日酉上刻なり。

     (御触書并承知印形帳)
触5230 三月廿八日 大久保加賀守殿就卒去、鳴物停止之事
 ○体裁触3685に同じ、

「御触(乱後)」目次/その8/その10

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