Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.6.28修正
2000.7.9

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「佐藤一斎の大塩平八郎に答えた書簡」

『今日の書面 』(樋渡正一編著 富田文陽堂 1911) より


◇禁転載◇

佐藤一斎の大塩平八郎に答えた書簡
(七八年前の七月一日)

▽拙老など所及に非ず


陋簡拝啓。未接紫眉候処、先頃者間生 *1 へ御転托にて高著洗心洞箚記 *2 二冊被恵副以眞文(漢文)手教、辱(かたじけなく)致拝受反覆致拝覧候処、数條御実得之事共人をして感発興起きるして欣躍に勝(た)へざらしむ。拙老など可及所に非ずと奉存候。就中太虚之説御自得致敬服候。拙も兼々霊光の体即ち太虚と心得候処、自己にて太虚と覚え其実意必ず固我の私を免れず存候。貴君精々此処御着力被成候はゞ即ち御得力爰に可有之と存候。尚も実際に御工夫被着がしと祈入候事に御座候。扨又拙も姚学(陽明学)を好み候様被仰越候。何も実得之事無之赧羞(たんしう)に堪へず候。姚江之書元より読候へ共、只自己之箴(しんへん)に致候のみにて、都ての教授は並の宋説計りに候。殊に林氏家学も有之候へば其碍(さはり)にも相成人の疑惑を生じ候事余り別説も唱、不申、只自己に而 乍不及 廸哲(てきてつ)之実功を骨折、夫よりして君臣之非を格(たゞ)し、遂に治務の間にも預り候はゞ、漸々之家国に寸補可有之哉に存候。兎角人は実を責ずして名を責るものかと被存候。名の害を成す事少からず候へば務めて主張之念を去て公平の心を求めて教度、左候へば却て教化の広く及申候、事有之哉と被存候返すがえすも其実無之ては、何学にても埓明不申、たゞ自己の実を積み候外無之とのみ心掛候へ共、扨々十が一も存意通に参らず浩歎に堪へず候。愚意の概 聊(いさゝか)申試候。尚御垂教被下度候。先拝復鳴謝迄如是御座候。時下玉燭不調為道御自保可被成候。恐惶謹言。

   七月朔日           佐藤捨蔵

    大塩平八郎様



管理人註
*1 間五郎兵衛(重新)のこと。
*2 洗心洞箚記の「箚」が原文では「くさかんむり」になっているが、ここでは「箚」にした。


猪俣為治「大塩平八郎」その14その15
井上哲次郎「大塩中斎」 その8
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