その15
『朝日新聞』1898.10.4 所収
朝日新聞 明治三十一年十月四日
大塩平八郎 (十八) 猪俣生
平八郎ハ独り佐藤一斎に止まらず、当時知名の学者にハ大抵其新著を贈りて之が批評を求めたり、是に於て各所の儒者之を賛するものあり、之を駁するものありて、為に芸園に一大論争を開くに至れり、然れども箚記ハ未だ刊行して世に発売するに至らざりき、
此歳の十二月に至りて平八郎ハ又一書を編述せり 之を儒門虚空聚語と云ひ、四書六経の中より空、虚、霊等に関する先哲の註釈論説を編輯したるものなり、此書上下二巻より成り、上巻ハ初に自序あり、次に序後の附載として藤樹先生の揮毫に係る致良知の三大字に対する自己の跋を載せ、本文ハ自識一條、経語十一條、諸家の註疏九十七條を集め、下巻ハ諸儒の論説百十一條、細註二條、按語二條、自識一條を載せ、終りに揚亀山、王龍渓、■京山(せきけいざん)の論説三条を加へて以て跋に代へたり、彼が此書を編述するや、其目的とする所ハ太虚説の必らずしも自己の創説に非らずして、先儒之を説きたるもの多きを世に示さんと欲するに在り、故に此書ハ箚記と相待ちて益々太虚説の疑ふ可からざるを証するものなり、
平八郎ハ其生涯中唯四部の書を著はせるのみ、曰く古本大学刮目、曰く洗心洞箚記、曰く儒門虚空聚語、曰く増補孝経彙註 是なり、之を新井白石が一百六十種を著はしたるに比すれバ其些少実に云ふに足らざるものなり、然れども其力を外に勉むると、思を内に潜むると、学術の趨向自から異なるものあり、復た何ぞ其著書の白石に多くして平八郎に少きを怪まんや、况んや僅々四歳の年月中他の終身窮経に孜々(しゝ)たる所の学究をして殆んど愧(きし)死せしむるの著作を為せるをや、
平八郎が四部の著作ハ互に相関繋すること連球の 如く互に相【火召】(せうえう)燿すること累玉の如し、洗心洞箚記に於てハ太虚説の大旨を主張し、儒門虚空聚語に於てハ太虚説の由来する所を述べ、古本大学刮目に於てハ太虚説を以て格物知致より以て治国平天下に至るの階段を説明し、増補孝経彙註に於てハ太虚説を以て孝悌の大道を解説せり、彼曰く其 孝終自太虚中出、而為舜之徒矣、雖知以為務、不心帰乎太虚、則其孝也必有作輟、而或有不免偽孝行之行者と彼が太虚説を以て孝道の要を一貫したるを見る可し、故に此四部を別ちて之を観るときハ自から一部完成の書なりと雖も、総括して併観すれバ、是ハ彼に因りて重を加へ、彼ハ是に因りて価を増し、益々其互に相発揮連結するの妙あるを見る、
井上哲次郎「大塩中斎」その7
「大塩中斎絶板書目」
「大塩平八郎関係年表」